美しい輝き
その輝きの前ではどんな硬さも無意味

たくさん切ればいい
たくさん切り捨てればいい

それが刃物の本質

紙を切ってわけて
髪を切って余分を捨て
食材を切って料理を作れ

愛を伝えることも
邪魔者を排除することもできる

まさに万能
さぁ 貴方も刃物を手にしてください




 料理は愛情。よくそう言われるけど、実際愛情を込めたって料理が美味しくなるわけじゃない。ようは手間の問題だと誰だって知っている。
 だけど、もしも愛情が本当に味に影響されれば、自分はきっと世界一の料理人になれると自負していた男がいた。
 料理の腕は二流。でも料理に込める愛情は人一倍。
 いまいち評価されないが、一生懸命料理をするので重宝されていた。
「……いつかお前にとびっきりの料理を作ってやるからな!」
 男の笑顔を向けられた女は優しく微笑んだ。
「今のままでも十分美味しいよ?」
「ううん。もっと、もっと美味しいものを作ってやるよ」
 女からすれば男の料理は十分美味しかった。でも、男はもっともっと美味しいものを食べさせたかった。もっと美味しい料理を作りたい。自分のこの気持ちを料理に込めれたら、きっと至高の料理になるはずなのにと考えていた。
 男は女により美味しいものを食べさせてあげるために、女が男の家にくる一日前から食材の仕込みを始める。
 どうすればもっと美味しくなるだろう。どうすれば気持ちを込められるだろう。そんなことを思いつつ男は包丁を動かす。
 リズムに乗った心地よい音が男一人の家に響く。男はこうして包丁で食材を切るのが好きだった。
「もっと、美味しいものを……」
 大好きだよ。愛してるよ。ずっと一緒だよ。そんな気持ちをたくさん込めて、包丁を動かす。
「そんな包丁より、オレの包丁を使えよ」
 ふいに響いた男以外の声。
 振り向いた男の目に映ったのは見知らぬ青年。所々裂けており、ボロボロになったコートと、同じくボロボロのバンダナを頭に巻いた青年は笑顔で男に包丁を向けていた。
「誰だ?!」
 男の質問に青年はニッコリと笑った。
「刃物屋さ」
「……は、刃物屋?」
 刃物屋は頷いた。
「オレは刃物を売る。刃物はすごい」
 刃物屋は軽やかに語りだした。
 刃物は言葉と同じだと、傷つけることも、救うこともできる。幸せにも不幸にもできると。
「だから、これをあんたに」
 刃物屋は包丁を男に差し出した。
 男は知らぬ間に手を伸ばしていた。刃物屋が刺し出す包丁を手に取ろうと。
 男の本能は危険だと警告する。男の欲望はこれが必要だと叫ぶ。男は、欲望の意思に従った。
「……おっと、まだ話は終わってない」
 もう少しで包丁を手にすることができたというのに、刃物屋はすっと包丁を引っ込めてしまった。
「この包丁はあんたの『思い』をそのまま食材に込めることができる。でも、代償が必要だ」
 『代償』という言葉に男は身を硬くする。
「代償は『言葉』」
 刃物屋は目を閉じて言う。
「あんたはもう一生話しをすることはできない。愛を語ることも、不満を述べることもできなくなる。
 …………でもまあ、それらはすべて、料理が解決してくれるがな」
 そう、思いを込められるのなら言葉など必要ない。むしろ、何よりも正直な言葉として料理が使えるではないか。そう思った男は刃物屋から包丁を受け取った。
 その瞬間、男の喉が締め付けられ、次の瞬間には男の声と刃物屋は消えていた。残ったのは包丁だけ。
 男は恐る恐る包丁を使った。切れ味も、重さも、使い方も変わらない。ただ、使っている間に様々な思いが込み上げてきた。愛してる。大好き。笑ってて。愛してる。大好き。愛してる。愛してる。
 男の思いは包丁のリズムに乗って食材に込められていく。
 こんなにスムーズに料理ができるのは始めてだと男は微笑んだ。声はもうでないが、笑っていた。
 男は美味しい料理を作った。次の日、女はその料理を食べて今までにない笑顔を見せた。
「すごい……すごいわ……!」
 男の大好きも、愛してるも、全て料理を通して伝わってきた。男は話すことができなくなっていたが、そんなことは問題ではなかった。
「結婚、しましょ」
 もしも男に声がでたなら、きっとこう言うはずだと女は笑って言った。男は当然頷いた。
 幸せな日々。刃物屋から貰った包丁で男は料理をし続け、たくさんの人に『幸せ』を願い料理を作った。いつしか男の料理は『幸せの料理』として有名になった。
 毎日女に料理を作ることはできないが、男が女に料理を作れば嫌でも女は男の愛情を知る。そして笑うのだ。
「私も愛してるわよ」
 幸せな日々。普通の物語ならばここでハッピーエンドを迎えるだろう。だが、この物語は終わらない。
 人の愛はいつしか薄れるものだ。それは、男とて例外ではなかった。
 日に日に料理を作ってやらなくなり、時たま作る料理には昔ほどの愛情はなくなっていた。そしてそれはお客様に出す料理にも言えていた。昔は幸せをと願えていたはずなのに、いつの間にか料理に込められる思いは醜い『金』と『名誉』のこととなっていた。
 男の料理を食べた者は誰を蹴落としてでも名誉が欲しくなり、金が欲しくなった。
 男の愛情が冷めてしまったと知った彼女は別に男を作った。
 男からだんだん人が遠のいて行った。
「……離婚しましょ」
 女から言い出したこと。男は喋れないので当然だ。
「…………」
 男は黙って離婚届を破いた。女に別の男ができていたのは何となく知っていたが、こうして現実をつきつけられると憎しみと怒りが込み上げるばかりであった。
 それでも男は料理を作った。あの包丁で。もうあの包丁を手放すなんて考えられなくなっていた。
 憎しみと怒りが混ざった料理は悲しき連鎖を起こすとは知らずに。
「死ね!」
「んだと?!」
「ぶっ殺す!!」
「だいたいから――」
 男の料理を食べた者は男の憎しみと怒りを直接感じてしまい、その感情に飲まれてしまった。
 憎しみと怒りは人々を仲たがいさせた。人に殺意を持たせた。男のいるレストランはあっという間に戦場と化した。赤い血と、醜い罵詈雑言の世界。男はもう何でもよくなった。
「……あら、お帰り」
 男は戦場と化したレストランから密かに逃げ帰り、昔は愛していた女を見た。
 昔は美しかった髪は艶をなくし、白魚のようだった手は水仕事で荒れていた。こんな女のどこがよかったのだろうか。こんな女に男が一人や二人できたくらいであんな感情を持ってしまった。この女がいなければこんな感情を持つことはなかったのに。女。女が全て悪い。
 男は刃物屋から貰った包丁を握りしめていた。
「どうした…………の……?」
 女が男の異変に気づき、体調でも悪いのだろうかと声をかけたとき、女の心臓は止まった。
 迷いのない男の一突きが女の生涯を終わらせた。
「…………」
 男は涙を流し、迷いのない一突きで己の生涯を終わらせた。



 のんびり道を歩いていた青年のコートの一部が唐突に裂けた。
「……また、死んだ」
 刃物屋はあきれたように言った。
 刃物は人を癒す道具にも、人を傷つける道具にもなれる。ようは使う奴しだい。
「『言葉』ってのは重い。言葉がなくなれば人は感情を誰かに伝えることができなくなる。だが『思い』はどんな言葉よりも正直だ」
 嘘はつけない。薄れていく感情も、新たにわき起こる感情もすべて伝えてしまう。
「小さいころ教わらなかったのか? 『刃物の扱いには気をつけないさい』……って」



END