誰もかれも目が悪い
あんたら、本当に大事なものが見えてねえ
目を凝らせ
上空から獲物を狙う鷹のごとく
すべてを見通せなんて言わねえ
ただ一点を見ろ
大事なものはなんだ?
必要なものはなんだ?
見えないなら手伝ってやる
眼鏡を売ってやる
人の心が見える眼鏡だって
未来が見える眼鏡だって
異形のものが見える眼鏡だって
あんたが望む眼鏡をやるよ
眼鏡をあんたがどう使うのかは関知しない
だから
あんたがどうなろうとも興味はない
商店街を抜けて町外れに行くと、小さな雑木林が顔を見せる。
雑木林の中を道沿いに歩いて行くと、そこには洒落た店がある。それは喫茶店ではなく、眼鏡屋。
その眼鏡屋は近所で有名であった。視力に関わらず、かけた眼鏡の度は必ずあっている不思議な眼鏡が売っている。
眼鏡を必要とする者はもちろん、眼鏡とはまったく関係のない女子もくる。
伊達眼鏡を欲する者のほかに、アクセサリーを求める者がいるのだ。
ビーズで作られた素朴なアクセサリーは、入荷する日も、製作者も客は知らされていないが、何ともいえぬ不思議な雰囲気のアクセサリーを女子は求めてくるのだ。
それを持っていると運気が上がるともいわれ、今では大人気の商品である。
そんな眼鏡屋に入る一人の男がいた。
眼鏡屋への扉を開けると、からぁんと喫茶店に入った時のような音が響く。
平日の昼、客は一人もいなかった。
扉を開けた先には木製のショーケースがあり、その後ろに少年とも、青年ともいえぬ眼鏡屋が腰かけていた。
眼鏡屋はハッチング帽を被り、ブレザーを着ていた。
素直ではなさそうであり、意思が強そうな眼鏡屋の目が男に向けられる。
眼鏡屋の目に釘付けになった男であったが、眼鏡屋が目を持っていた本に向けたことでその呪縛から解き放たれた。
心なしかほっとした男は、ショーケースにいれられている眼鏡を見た。
一般的な眼鏡から、仮装大会でしか使わないような眼鏡まであった。
眼鏡が置かれているのは上30センチほどで、それより下は引き出しになっている。
あまりにも多いその引き出しの数に驚いた男は、引き出しの一つを出してみた。眼鏡屋もそれを止めることはなかった。
引き出しの中から出てきたのは可愛らしいビーズのアクセサリー。
細かい造型ではないが、幻像的で美しく、それでいて悲しげなアクセサリーであった。
「欲しいのか?」
初めて眼鏡屋が声を出した。
やはり少年とも青年ともとれない声であった。
「い、いえ……」
男には彼女がいたが、このアクセサリーをあげる気にはなれなかった。確かに不思議な雰囲気のアクセサリーではあるが、運気があがるようには思えなかったのだ。
「そうか、まあ正しいな……」
呟くように眼鏡屋が言う。男にはその言葉の意味がわからなかったが、気にしなかった。
不意に、男は思い出した。
この眼鏡屋には魔法の眼鏡があるという話を。
度をあわせる必要のない眼鏡のことを言っているのではない。その眼鏡は、真実を見る眼鏡らしい。
霊を見、人の本心を見通し、未来をも見る。そんな夢のような眼鏡を、この眼鏡屋は売ってくれるらしい。
ショーケースには入っていない。眼鏡屋に言って初めて売ってもらえるその眼鏡は、普通の眼鏡と変わらない値段で売ってもらえる。
男はそれが本当なのか気になった。
今の今まで全く気にならなかったことだったが、気になりだしたら止まらない。
男はよせばいいのに、言ってしまった。
「ひ、人の、本心を、見れる、眼鏡……ください」
一言一言を区切り、呟くように、それでもハッキリと男は言った。
眼鏡屋は黙って男を見ている。
鋭い目。今度はそらされない。
静かな店の中、眼鏡屋の後ろにあるアンティーク時計の針と振り子の音がやけに大きく響いていた。
黙っている眼鏡屋を見て、男はあきれてるんだ。きっと噂は噂だったんだと思った。いや、思いたかった。
「……欲しい、のか?」
男の思いは打ち砕かれた。
あるのだ。確かに。ここに。
この時点では、まだ男は引き返せた。
冗談だと言えた。冗談に眼鏡屋が付き合ってくれていると言い訳もできた。しかし、男は引き返すための道を自ら壊してしまった。
「はい」
答えた男の頭の中では、彼女や友人に聞きたいことを整理していた。
好奇心は猫をも殺す。
その言葉が現実の物になろうとは思いもしないで。
「そうか。ならオレは止めない。ただ、この眼鏡を使ってあんたがどうなろうが……」
眼鏡屋の目つきが一層鋭くなる。
「関知しない」
冷たい言葉。突き放すような言葉。
男はその言葉の意味に気づくことはなかった。
眼鏡屋は黙って眼鏡を取り出した。どこから出したのかわからなかったが、今の男にとってはどうでもいい事であった。
それから、半日も経たないうちに男は帰ってきた。
男は、絶望した目だった。
表と裏の言葉に絶望し、周りの打算的な考えを醜いと感じ、信じていた者に裏切られた愚か者の目。
「オレは、関知しない」
まるで逃げるかのように眼鏡屋は目をそらした。
男は何も言わない。
言う気力もないのか、言っても無駄だと思っているのかはわからなかった。それを知る前に男の姿が揺れ、煙のようになり消えた。
後に残ったのは幻想的な美しさのあるビーズのアクセサリーだけ。
「……愚か者め」
泣きそうな表情をした眼鏡屋がアクセサリーを拾い、引き出しへ入れる。
入荷日不明のアクセサリーの数々。それは真実を見、絶望した者の末路なのだ。
眼鏡屋は何十年、何百年とこの仕事を続けてきた。そして何百、何千の愚か者を見てきた。眼鏡を買って行く者を見るたびに、こいつならば絶望に飲み込まれないかもしれないと思っていた。
だが、結局は誰もが真実を見る勇気などないのだと気づいた。
眼鏡を買った者は絶望の先に魂だけの存在になる。
魂は眼鏡屋のもとへ辿りつき、別の形へと変化する。
「……やめて、しまえれば楽なんだろうな……」
俯いて、呟く。
「誰も、好き好んで他人の絶望した姿なんて、見たくない」
それでもやめられないのは――。
「眼鏡屋として生まれてきた業か」
いつかはと、望みを捨てきれないからなのか。
悲しげな雰囲気の漂う眼鏡屋に心地いい鐘の音が響く。
「すいません。未来が見える、眼鏡……ありますか?」
気の弱そうな女の子が眼鏡屋の中に入ってくる。
「欲しいのか? どうなってもオレは関知しないからな」
悲しげな雰囲気はなく、冷たい雰囲気がそこにはあった。
END