人形屋
 キミに素敵な人形をあげるよ
 人形なんかって馬鹿にしないで

 人形は昔から必要とされてきたんだ

 時には家族として
 時には友達として
 時には身代わりとして

 キミが望む人形を作ってあげる

 不幸を払ってくれる人形?
 優しく見守ってくれる人形?

 なんだっていいんだ。

 お代はいらないよ
 人形を大切にしてくれたらそれだけでいい

 キミが人間じゃなくてもいい
 犬でも猫でもいい

 でも
 キミが人形なら

 ボクは人形をあげれないよ






 腕のいい人形屋が森の小屋の中にいた。
 ただ、その人形屋の姿は少年と言うのが一番正しい風貌であった。
 大きな目で無邪気な笑顔を誰にでも見せてくれる。四頭身ほどしかない小さな背丈も彼が少年と言われる原因でもある。
 少年のような彼であるが、彼はずっと昔からいた。そしてずっと昔からあの姿であった。
 なのに誰も不気味には思わない。なぜならそれが当然だから。
 彼の住む森の近くにある町には度々『特別な職業』の者達がくるのだ。それは『時計屋』であったり『鍵屋』であったりする。
 そのため、本来ならば気味悪がる長寿も技術も特別なことではなくなっていた。
 彼だから当然。そう思うことができる風習になっていたのだ。
 けれども、町の人達は人形屋と話すことはあっても人形を貰うことはしない。
 町の人々は知っているのだ。彼らのような特別な者に何かをしてもらうにはそれ相応の代償が必要なのだと。その代償が何であろうと何かを捨てることをしたくなかったのだ。
 だから必然的に人形屋の客は遠くの町から来た者になっていた。
「ここが人形屋か」
 人形屋の小屋の扉を男がノックした。
 半分ほど開かれたままになっている扉からは黒いスーツに黒いサングラスが見える。何ともわかりやすい姿をした男であったが、人形屋は怯えない。静かに入っておいでと言った。
 人形屋に誘われ小屋の中へ足を踏み入れた男は思わず足をそれ以上進めるのをためらった。
 小屋の中には所狭しと人形が並べられていた。赤ん坊ほどの大きさから一端の大人と同じくらいの人形まで大きさは様々であったが、その人形達は確かに男を見ていた。
 カラス細工の目がやけに生気を帯びてるように感じられた。目は言うのだ。
『これ以上くるな』
 と男に伝えてくる。
「どうしたの? おいでよ」
 扉をノックした時は気がつかなかった人形屋に男は気がついた。
 並べられている人形の中心に奇妙なほど綺麗にされた場所があった。そこにあるのは木とノミだけ。
 そこに人形屋は座っていた。あどけない笑顔を浮かべた彼に男は臆病風に吹かれそうになる。この、目ばかりの異常な空間でどうして彼は笑っていられるのか。
「人形が、欲しいんでしょ?」
 中々こちらにこない男に苛立ちを感じたのか、人形屋が近づいてきた。
 並んで見ると身長差がどれほどの者かよくわかる。男の体は大人としてしっかりしているのもあるのだろうが、人形屋の頭が男の骨盤の辺りまでしかない。
 男はこの人形屋が本当に噂通りのものを作ってくれるのか心配になった。
「ねぇ、早くしてよ。欲しいんでしょ? いいよ。おじさんになら作ってあげる。おじさんは人形じゃないからね」
 どうするか悩んでいる男を人形屋は急かした。
「……なら、俺の――」
 信じなければ始まらない。そんな言葉をを何処かで聞いたことがあるような気がした男は人形屋にどんな人形が欲しいのか言おうとした。
 だが、人形屋がそれを遮った。
「ああ、わかったよ。ちょっと待っててね」
 何も言われていないのにも関わらず、人形屋は納得してノミを取った。
 人形屋は何かに取り付かれたかのようにノミを振るった。ためらいのないその行動に、まるで全て始めからわかっていたのではないだろうかと、男は有らぬ疑いを持ってしまった。
 あまりにも早い行動だったが、さすがに二、三日はかかるだろうと思った男は静かにその場を去ろうとした。
「行かないで。すぐにできるから」
 目は着実に形を作りつつある人形に向け、手も動いている。だが、人形屋は男を止めた。
 ほんの一瞬目を離した今の瞬間で作られている人形は格段に変化していた。どのような人形になるのかはもうわかる。少しばかり悪そうな顔をしている人形だ。小さな少年の人形。
 見ている間はそう変化していないように感じる。だが、気づけば確かに人形は大きく変化している。まるで騙し絵の中にでも入った気分になる。
「できたよ」
 男が軽く眩暈を起こしている時に人形屋は人形を完成させた。ポケットに入るくらいのサイズだと言うのに、いつのまにか目にはガラス玉がはいり、服まできちんと着せられていた。
 男はあまりにも気味が悪くて、小さくお礼を言って逃げるように小屋から去って行った。
「……できるなら、失わないでね」
 人形屋が言った言葉など知るよしもない。

 男は予想通りというか、ヤクザであった。これから縄張りを巡って抗争が始まるのだ。そんな時に聞いた話。人形屋身代わりの人形を作ってもらえば、死ぬことはない。
 死にたくなかった。男には家族も何もいなかったが、いつか自分も家族を持つという可愛らしい夢もあった。
 だから人形屋の元へ行った。
「……気味が悪ぃ」
 男は今にも抗争が始まりそうな状態の中、貰った人形を見て呟いた。
 あまりにも昔の自分に似た人形を見て。
「おい! 奴らきやがったぞ!!」
 同僚の叫び声と共に銃撃戦が始まった。仲間の叫び声と敵の叫び声が混ざり合う。火薬と血の匂いが建物中に充満する。吐き気がして、泣きそうになる。いつまで経ってもこれには慣れることができない。
 口と鼻を抑える男の後ろからカチャッと小さな音がした。死の扉が少し開かれた。
「――――っ!」
 後ろにいるであろう誰かに銃を向けようとしたが、やはりそれはかなわなかった。
 一発の銃声と共に死の扉が男を迎え入れた。
 だが、扉は唐突に男をはじき出した。目を開けた男が見たのは血と死体。
 外はもう暗く、自分が死んでからずいぶん時が経ったのだと知る。
 不思議と自分が一度死んだことは疑わなかった。銃口は確実に自分の頭を捕らえていたし、銃弾が頭をつきぬけたこともおぼろげながら覚えている。
 となれば、やはりあの人形のおかげかと思い、男がポケットに入れていた人形を取り出した。
「これは……」
 人形の頭は無残にも砕け散り、腕や足がおかしな方向へ曲がっていた。
 やはり人形が身代わりになってくれたのだろう。男はとてもいい気分だった。まさに生まれ変わったとでもいうのだろう。とてもいい気分過ぎて、銃を手にとっていた。
 今まで怯えていた自分が恥ずかしい。怯えることなどないのだと思い、今ならば誰を殺しても何も思わないだろうと感じた。

『キミの少年の心は消えちゃったんだね』

 人形屋が小さく呟いた。
 今の男にはいつか家族を持つなどという可愛らしい夢もない。優しい心もなく、怯えるここともない。ただ狂気に満ちた大人の心だけが残った。



 人形屋の小屋に一人の女がやってきた。
 綺麗な顔つきで、流れるような黒髪を腰の辺りまで伸ばしている。いいとこのお嬢様というやつだろう。
「すいません……」
 女が軽く扉をノックする。
「どうぞ」
 人形屋は軽く返した。
 女は扉を開け、小屋の中へ足を踏み入れると、所狭しと並べられた人形のガラス細工の目が女を迎え入れてくれた。
 その目はまるで友を見るかのように暖かく、これが職人技なのだと女を感心させた。
 人形達の中心にいる人形屋はいた。周りの人形達とは違って冷たく、女を受け入れない目で女を見ていた。
「あの、私……」
 女がしどろもどろになりながらも用件を言おうとした。だが、人形屋は女の話を聞かなかった。
「帰って」
 簡潔で、しかし一番冷たく拒絶する言葉を人形屋はいとも簡単に言ってのけた。
 当然女は納得いかなさそうに人形屋を見る。目は混乱し、怯えているが体は決して帰ろうとしない。
「早く。キミにあげれる人形はないの」
 人形屋は懸命に女を追い出そうとし、女は懸命に追い出されまいとする。せめて理由を知りたい。どうして自分はだめないのか。
「ど、どうして?」
 人形屋は眉間にしわを寄せつつも、女の質問に答えてくれた。
「ボクは、人形には、人形を、あげない」
 一言一言をくぎってはっきりと女に伝えた。
「私は人形じゃないわ! 人間よ!」
 女は人形屋に伝える。だが、人形屋は黙って首を振る。女は人間でないと言うのだ。
「キミは人形だよ。誰の人形かは知らないけど。
 親、先生、友達、国。今は誰もが誰かを人形にしたがるからね」
 人形屋の目は鋭く、反論を許さない。確信と、自信に満ちた言葉に女は言葉を詰まらせた。
 何よりも、人形屋の言っていることが正しかったから。
 この世に生を受けてからずっと、女は母親の言う通りに生き、父の言う通りに行動してきた。誰かに逆らうのが怖くて、一人になるのが怖くて、寂しくて。
「人形が人形をもってどうするのさ」
 人形屋は冷たく聞く。だが、答えはわかっているから答えは聞かない。
「友達にしたい? そんなの嘘だね。
 キミも自分の人形が欲しいんだ。キミの持ち主がそうしているように。キミは自分のものが欲しいだけなんだ」
 冷たい言葉。今まで誰もそんなことは言わなかった。言う通りにしていれば褒めてもらえた。笑っていれば誰もが一緒に笑ってくれた。それが、例え上辺だけだとしても。
 人形屋はさらに女に言う。
「人形が人形を持ったってろくなことにならない。人形が人形を増やすだけさ。
 そしてキミみたいな人形は何も生み出さない」
 女は静かに涙を流し始めたが、人形屋は言葉を止めない。まるで壊れたかのように言葉を流し続ける。
「例えばキミが子供を生んだとしても、その子は何処か壊れた人形なのさ。一目見ただけではわからない。ずっと普通の人間として生きていける壊れたお人形さん。
 その人形はさらに壊れた人形を作る。そうして完璧に壊れた人形が産まれるんだよ。
 この世界は壊れた人形だらけになる。心が壊れたお人形さんばかりの世界だよ。怖いね。気味が悪いね。そう思わない? 少し壊れたお人形さん?」
 少年は女を責める口調ではなかった。ただそこにある真実を口にしているだけ。
「ボクの大事な人形を壊させるわけにはいかないからね。わかってくれた? 帰ってくれる?」
 始めて人形屋は優しい笑顔を見せた。
 優しく拒絶するその笑顔に女は悲しくて、悲しくて、涙を流すことさえ忘れて小屋から出て行った。
 綺麗なお人形さんに人形屋は一つ言ってやるのを忘れていた言葉があった。

『人形だって心を持てば人間になれるよ』

 きっとこの言葉は届かない。



 誰もこない。人形屋と人形だけがある小屋の中で人形屋は一心不乱に人形を作っていた。
 自分と同じくらいの大きさの人形。今まで作った人形の中で一番時間をかけて、一番上手に作る。
 人形達はそれをじっと見守る。それが何十年も、何百年も前からの決まりごと。
 ゆっくり時間をかけてゆっくり人形は完成していく。徐々に形ができていく人形は人形屋にそっくりで、まるで人形屋が二人いるようであった。
 人形屋は自分の目蓋の下に指を入れて目をくりぬいた。
 血は出ない。くりぬかれた目は光りを反射して美しく輝いている。それは少しもくもっていないガラス細工であった。
 それを人形の片目に入れる。サイズはピッタリ。人形の片目は生気を宿し、今にも動き出しそうだ。
「あ、目が見えなくなったら服が着せれないね」
 一人そう呟いて人形屋は服を脱ぎ、人形に着せた。ずいぶんぼろぼろになった服。次は新しい服にしようかななんて呟きながら残っているもう片方の目をくりぬく。
 やはり血は出ない。綺麗なガラス細工の目を何とか人形にはめると、人形屋はその場に崩れ落ちた。その瞬間、小屋の中には誰もいなくなった。
 並べられている人形達と、人形屋であった木の抜け殻。そして新しく生まれる人形屋だけがそこにあった。
 小一時間もすると目をはめ込まれた人形が動いた。自分の下に崩れている抜け殻を軽く持ち上げて笑った。
「人形が人形を作る。まさにボクのことだね。
 体に限界が来るたびに新しくなって、ボクはどんどん壊れていく。
 もし、ボクが人間だったなら、誰かの心が失われることなく命を守れる人形が作れたかな?
 もし、ボクが人間だったなら、もっと優しくなれたかな?」
 一人、前の自分に尋ねる。答えが返ってこないことなど百も承知だが聞かずにはいられない。
「ねえ……。ボクは、人間になれるかな……?」
 他の人形達はまれに人間になれる。自分で動いて、自分で話す。
 それだけなら人形屋もできる。だが、人形屋は人間ではない。いつまでたっても人形なのだ。
 どうやって生まれたのか知らない。でも、始めから人形屋は人形で、動いて、喋っていた。それが『特別な職業』だからかはわからない。
 でも長い間生きて気がついたことがある。

 自分は人間にはなれない。


END