時計屋
ねえ、時計はいかが?

アナログ、デジタル、アンティーク。鳩時計に変わり種時計!
時間を見るのに、目覚ましに。使い方はあなたしだいです。

時計はいかが?
時間はいかが?

あなたの時間、買い取ります。
辛い時間、悲しい時間。楽しい時間も大歓迎。

あなたに時間を売ります。
楽しい時間、嬉しい時間。欲しいのなら、残酷な時間もお売りします。

時間、いりませんか?

時間はたっぷりあります。ゆっくり考えてくださいね。
時間は限られています。さあさあ早く決めてください。

買いますか?
お代は時間です。お金は必要ありません。
売りますか?
お代は時間で払いましょう。








 彼女は全身に時計を纏っていた。
 いや、彼女は彼だったかもしれない。だが、時計を纏っていることに変わりはなかった。
 シルクハットを被った時計屋は、身体中を鎖で巻き、鎖に時計をつるしていた。時計はそれぞれ好きな時間を好きなように刻んでいたので、同じ時間を示している時計は何一つなかった。
 あるものは素早く回り、あるものは一向に針が進まない。逆に回っているものや、針がないものまであった。
「時計はいかが?」
 時計屋が時計を見せても誰も反応はしない。ありふれた時計。変わった形の時計。でもそれは時計であることに変わりはなく、特に欲しいと思わせるようなものではなかった。
 時計ではなんの反応も得られないと悟った時計屋は次に進んだ。
「時間はいかが?」
 時計屋が笑う。人々は嗤った。時間は買えるものではない。時間は常に進んでおり、有限である。こんな愚か者に付き合っていることが時間の無駄だと言わんばかりであった。
 だが、一人の老人は時計屋を嗤うことなく見ていた。
「時計屋さん。お久しぶりですな」
 古くからこの町に住む老人が時計屋に話しかけた。老人は古くからの知り合いのように時計屋に話しかけた。その姿はまるで孫と祖父のような光景にも、古くからの大親友と話すような光景にも見えた。
 老人を見た時計屋は寂しげにニッコリと笑ってお久しぶりですと返した。
「君の時間はもう買われてしまったよ」
 少し困ったような表情をしながら言う時計屋を見て、老人は微笑んだ。
「いいんだよ。あれは私が売ったのだからね……。それにしても、あなたは変わらない……」
 老人は何処か遠くを見るような目をし、その老人に習うかのように時計屋も遠くを見た。二人は同じ時間を見ているのだろう。
 それは売られた時間と買われた時間の物語。


『金持ちと永遠』

 何処にでもあるような普通の町に、一人の時計屋が現れました。その時計屋は彼女のようでもあり、彼のようでもありました。
 鎖に繋がれた時計を身体中に纏い、胸のポケットに古びた人形を入れている奇妙なその姿を見て、町の人は時計屋を気味悪がりました。
「時間はいかが?」
 この時計屋の言葉に反応したのは、町一番の大金持ちでした。大金持ちは何でも持っていました。さすがに王様のような生活はできませんでしたが、それはそれは裕福だったのです。
 大金持ちは王様でも得られない『永遠の時間』が手に入ったのなら、きっと自分は王様のように偉くなれるのだと思いました。
「時計屋よ、時間を売ってくれるのか?」
 大金持ちが尋ねました。時計屋はもちろんですと答えました。
「時計屋は時計を売るだけではなく、時間も売るのです」
 『永遠の時間』が手に入るかもしれないと思った大金持ちは上手く手に入れば自分は王様のように偉くなれるし、この時計屋が嘘をついているのであれば、拷問をして殺してしまえばいいと考えていました。
 大金持ちは部下にありったけの金貨を持ってこさせました。袋いっぱいにつめられた金貨が幾つも用意され、大金持ちは時計屋にこれを差し出しました。
「これで『永遠の時間』を私に売ってくれ」
 しかし時計屋は首を横に振り、金貨を押し返しました。
「何?! これでは足りないというのか?!」
「いえ、私は金貨を欲していないのです。私は時間を売る代わりに、あなたの時間を頂きます」
 未来の時間。過去の時間。現在の時間。
 楽しい時間。辛い時間。安らぐ時間。
 『永遠の時間』に見合うだけの時間を頂くと言った時計屋に、大金持ちは尋ねました。一体どれほどの時間を渡せばいいのかと。
「あなたが欲しい時間はとてもとても長い時間です」
 目を伏せながら時計屋は言いました。『永遠の時間』が長いのは当たり前のことです。何しろ永遠なんですから。
 イライラし始めた大金持ちの前に、時計屋は二つの時計を出しました。
 星型の可愛らしい時計と丸い木彫りの時計です。
 星型の時計には可愛らしい針がついており、規則的に時を刻んでいましたが、木彫りの時計には針がついておらず、時折軋むようなおとがしました。
「どっちの『永遠の時間』が欲しい?」
 星型の時計を選ぶなら未来の時間をください。木彫りの時計を選ぶのなら過去の時間をください。と時計屋は言いました。
 未来を奪われてはたまったものではありませんが、過去の時間ならどうってことはありません。
 大金持ちは木彫りの時計を買いました。その瞬間に、大金持ちの部下が消え、金貨も消えました。
 一体どういうことなのか大金持ちであった男は時計屋を問いただしました。
「あなたの過去は消えました。だからお金も、名誉も、何もかもが消えました。大丈夫。あなたにはまだまだ時間がありますから」
 時計屋はニッコリと笑って男を突き放しました。男は自分がいた証など何も残っていないのです。名誉も、金も、家も、名すらも残ってないのです。
「星型の時計は『素敵な永遠の時間』 木彫りの時計は『残酷な永遠の時間』」
 男はそれから永遠に生き続けています。何もない虚無感と病気の苦しみ、飢えの辛さ、生き続けなければならない恐ろしさに怯えながら生き続けているのです。
「『永遠の時間』を終わらせる時間はいかが?」


『少女と残酷』

 とある町に奇妙な時計屋が現れました。女か男かよくわからなかったのですが、何よりも、全身を鎖と時計で包んだその姿は人々の目を引きました。
「時計はいかが?」
 とても可愛らしい時計をいくつか出すと、町の人は次々に手にしていきました。ですが、手に取り見るだけで、誰も買おうとはしません。
 そんな時間が長い間続き、とうとう誰も時計を見なくなった頃、時計屋は自分をじっと見詰めている少女に気づきました。
「お嬢さん。時間はいかが?」
 時計屋の言葉を待っていたと言わんばかりに少女は微笑みました。
「私の時間。未来の幸せな時間と引き変えに、『悲しくて残酷な時間』を頂戴」
 『悲しくて残酷な時間』を売りたいと言う者には、時計屋も今までに何人も出会いましたが、『悲しくて残酷な時間』を欲しいという人間には始めて出会いました。時計屋が少し戸惑うような表情をすると、少女は花のように笑いました。
「いいのよ。私は今までずっと幸せで平凡すぎる人生だったから」
 少女の口調は表情とは裏腹にとても真剣でした。だからこそ、時計屋は二つの時計を出したのです。お客さんが本当に欲するのならば戸惑う必要はないのです。
 この少女が何処で時計屋の話を聞き、どうして『悲しくて残酷な時間』が欲しくて、『悲しくて残酷な時間』を手に入れた後どうなるかは知ったことではありません。時計屋はただ、お客さんの欲するものを売り、必要でないものを買い取るだけなのです。
 時計屋が取り出した二つの時計はそれぞれ別の形をしていました。
 真っ赤でネジが飛び出している不気味な時計と髑髏どくろの形をした恐ろしい時計。
「真っ赤な時計は『真の残酷さを持つ時間』 髑髏の時計は『仮初かりそめの悲しい時間』」
 あなたはどちらが欲しいのですか? と、時計屋に問われ、少女は迷いながらも真っ赤な時計を選びました。欲しいのは仮初の時間ではなく、真実の時間なのだと少女は言いました。
 真っ赤な時計を受け取った少女に時計屋は笑いかけ、去って行きました。
「あなたの未来は頂きました。あなたの未来があった場所には、『真の残酷さを持つ時間』が流れるでしょう」
 時計屋が去って行った後も少女は同じように過ごしました。平凡で、穏やかな時間が流れ続け、少女は時計屋に騙されたのだと怒り狂いました。しかし、そんな少女の怒りが消えたころ、『真の残酷さを持つ時間』がやってきたのです。
 大好きだった母が殺されました。妻を殺された父は、仕事をしなくなり、少女を傷つけるようになりました。少女には生傷が絶えなくなりました。お金がないので食事をすることもままなりません。
 少女は思いきって家を出て行きました。けれども、それは決して楽な生活ではありませんでした。お金もない少女には、雨宿りする場所も食べる物もないのです。それなのに、真っ赤な時計だけはありました。捨てても、壊しても、なぜか綺麗になって戻ってきてしまうのです。
 そんな恐ろしく辛い生活に嫌気がさしてきたころ、少女はあの時計屋を見つけたのです。
 始めて会ったときのように時計を売っていました。
「お願い! 私の時間を返して!!」
 少女は時計屋に縋りつきました。けれども、時計屋は残酷な一言を放つのでした。
「もう君の時間は買われてしまったよ」
 絶望と悲しみの中、少女はその命を絶ちました。
「『真の残酷な時間』とは、平凡で幸せな日常から一転してしまうことなんだよ」


『人形と人間』

 新たな町へ時計屋が行く途中、いつも胸ポケットに入れていた人形が話しかけてきました。
「ねえ、時計屋さん」
「おや、人形である君が喋るとは……時間が欲しいの?」
 時計屋が時間を売るのは、人間に対してだけではありません。虫や動物、さらには椅子や家にまで時間を売るのです。何故ならばそれが時計屋の仕事だからです。
「うん。ボクに『人間としての時間』を売って?」
 ずいぶん古くなってしまった人形は首を下に下げたまま時計屋に頼みました。人形の姿をよく見た時計屋は人形がずいぶんボロボロになってしまっているのに気づきました。
 縫い目がほつれ、所々綿が出ていたり、目の役割をしていたボタンがなかったりもしました。このままでは『人間としての時間』を売ってあげても五体不満足になってしまうでしょう。
 時計屋は次の町で人形を直してあげようと思いました。時計屋はあくまでも時計や時間を売買するだけの存在で、時間を売った後のことなど本来なら気にしないのですが、この人形なら話は別です。
 今まで何年も、何十年も一緒にいたのです。周りの人間と違い、時間に干渉されない時計屋は歳をとりません。そんな時計屋の友達は同じく歳をとらないこの人形だけだったのです。
 大事な友達が新たな人生を歩みたいというならば、最高の出だしにしてあげたいのです。
「すいませんが、この人形を、新品同様にしていただけますか?」
 人形を修理に出した時計屋はお代として店の主人に幸福な時間をほんの少しあげました。時計屋を幸せにする何かを与えてくれた者になら、代償なしに時間を与えることも可能なのです。
 無事に修理された人形は本当に新品のようでした。顔もしっかり前を向いており、目もしっかり二つ付いていました。
「ありがとう」
 長年の友達と別れを告げるときがきました。時計屋は二つの時計をとりだします。
 金色に光る懐中時計と古ぼけた鳩時計。
「どちらもお代は君の人形としての時間の一部だよ。懐中時計なら幸せな『人間としての時間』 鳩時計なら平凡な『人間としての時間』」
 時計屋は人形としての時間を受け取りたくはありませんでした。たった一人の友達が去っていくというのに、悲しくないわけがありません。引き止めたくないわけがありません。けれども、時計屋はいつものように微笑みます。
「……それじゃあ、鳩時計を頂戴」
 人形は時計屋の気持ちをわかっています。今までずっと一緒だったのですから。けれども人形は人間として生きたいのです。今まで時計屋と一緒に見てきた人間のように生きていきたいのです。
 時計屋は心の中で泣きました。行かないでと言いました。
 人形は心の中で泣きました。ごめんなさいと言いました。
 鳩時計を手にした人形は、大きくなっていき、人間の子供の姿になりました。人形の頃の面影を残した茶色の髪が時計屋の心を痛めます。
「ほら、お行きよ」
 時計屋が指差す方向には、人形を直してくれた店の夫婦がいました。あの店の夫婦は子供に恵まれず、いつか子供が欲しいと強く願っていました。
 時計屋は『人間としての時間』を受け取った後も、人形が生きていけるように、あの店の夫婦に子供がいる時間を与えたのです。
 夫婦に連れられていく元人形の少年の後姿を時計屋は悲しげに見ていましたが、すぐに夫婦とは反対方向に歩いて行きました。そんな時計屋の後姿を、今度は元人形の少年が見ました。
「ありがとう。そしてゴメンね時計屋さん。ボクの永遠の友達……」
 それから人形であった少年は、普通の人間としての生涯を過ごしました。夫婦のもとで育ち、友達を作り、恋人を作りました。結婚もして子供も作りました。
 子供が巣立って行き、少年はいつしか老人になりました。
「時計はいかが?」
 そんな時に見つけたのです。永遠の友達の姿を。
 数十年前から少しも変わってないその姿に老人は罪悪感と大きな悲しみを覚えました。
「君の時間はもう買われてしまったよ」




 長い長い時を思い返した二人は、お互いに顔を見合わせて微笑んだ。
 何と愚かな人間がいたんだろう。何と素敵な人間がいたんだろう。何と素敵な友がいたんだろう。
 人形は老人へと変わってしまい、再び人形として共に旅をすることはできなくなってしまっていたが、時計屋は今までのことを話した。悲しい結末を迎えた者のこと。素晴らしい結末を迎えた者のこと。
 夕暮れになるまで二人は話し続けた。
「ああ、時間はせわしないね」
 時計屋は悲しそうに夕日を眺めた。老人は寂しそうに時計屋の顔を見た。
「ああ、そうですな」
 目を伏せた老人は、少し考えてから立ち上がった。時計屋はそれをぼんやりと見つめた。
 もう時間はない。一つの町にいれるのは一日だけ。それが時計屋の決まりなのだ。
「……もう、行ってしまうのでしょ? 時間は限られていますから」
 全てお見通しなのだと老人は笑った。
 全て見抜かれているのだと苦笑した時計屋は気まぐれにいい返した。
「時間はたっぷりありますよ」
 思わぬ仕返しを受けた老人は、少し驚いたがすぐに微笑んだ。
「あなたには限りない時間が、私には限りある時間が」
 そんな言葉を残して老人は帰って行った。帰る先には同じく年老いた妻と子供、そして孫が待っているのだろう。
 老人の後姿を見て、昔夫婦に連れられていった少年の姿を思い出した時計屋は再び悲しい気持ちに襲われた。
 長い間。それこそ永遠といわれるだけの時を生きてきて、時計屋は悲しみも、喜びも捨てたつもりだった。まともな神経の持ち主が『永遠の時間』を生きれるわけがないのだ。
 これからも老人は生きて、そしていつか死ぬのだろう。それでも時計屋は生き続けるのだ。今度こそ時計屋は感情を失くすだろう。
 ただ一人の友人を失ってもなお、生き続けなければならないことこそが『悲しく残酷な時間』
 いっそのこと、自分も『人間としての時間』が欲しいと時計屋は願う。
 悲しい時間は全て時計屋の身の中にあった。喜びの時間は全て時計屋の外にあった。
 『時計屋の時間』はいかが? ただし、精神が壊れてしまっても知らないよ?


END