白い町があった。その町にはクロスという若い神父がいた。
神父は町の外へ出ていこうとする子供達のために、時折町の外を見回っており、時には捨て子を見つけて教会で育てていた。
優しく、真面目なクロスに、町の人々は優しい。子供の世話を手伝ってくれたり、子供達のためにおもちゃを分けたりと、子育てに慣れていない神父を助けてくれる。
すばらしい環境の中で、子供達は当然のように心優しく成長していた。
そんなある日のことだった。町には嵐が近づいており、辺りは暗く、雨風も強かったのだが、こんなときほど危険だと、クロスは町の外を見回っていた。
好奇心旺盛な子供達も、さすがの雨風に外には出ておらず、安心したクロスが教会へ戻ろうとしていたとき、森の奥に人影を見たような気がした。
暗い中、さらに暗い森の奥に人影が見えたというのは、奇妙なようにも感じたが、人の良いクロスは人影を確認するために森へ足を踏み入れた。
しばらく歩いてみたが、やはり人の姿などどこにもない。やはりただの見間違いだったのだろうかと、クロスが町へ戻ろうとしたとき、近くに雷が落ちた。雷の光で一瞬辺りが照らされ、クロスは目的のものを発見した。
「――子供?」
一瞬の光の中で見たのは、確かに子供だった。
クロスは先ほど子供が見えた場所まで足を運ぶ。
「……やっぱり、子供だ」
そこには子供がいた。ただ、その子供がいた場所は魔物の巣の中だった。巣の主は、この嵐を感じ取り何処かへ逃げ出してしまったようだ。
雨に、風に体を冷やされている子供を助けなければと、クロスが子供に手を伸ばすと、子供はその手を払った。驚き、クロスが子供の瞳を見ると、子供の瞳は威嚇するかのよう色を見せている。
「私は敵ではないよ」
優しい声色で話かけてみても、子供の警戒は一向に解けない。
「怖がらないで……」
風は強くなり、雨も激しさを増している。このまま森にいるのは危険だ。だが、クロスは子供を放っておくことができない。
「――ごめんね」
そう言って、クロスは首からさげている十字架を握り、子供の顔に指を向けて呪文を唱えた。
クロスがかけたのは眠りの魔法。あっさり魔法にかかった子供は、規則的な寝息をたてながら、クロスの腕の中に収まった。
自分が着ていたレインコートを子供にかぶせ、クロスは教会へ向かって走った。町へ入り、何人かが大丈夫だったかと声をかけてくれたが、クロスはそれに一言二言返しただけだった。
今は一刻も早く腕の中にいる子供を暖かい場所に連れていってあげたいと思っていたのだ。
教会につくと、子供達がクロスを迎えてくれる。
「おかえり」
「大丈夫だった?」
そんな言葉に優しく返事をし、クロスは教会の奥にある子供達のための建物へ入った。そこには大きな暖炉があり、とても暖かい。クロスは子供の一人に毛布を持ってこさせ、森で眠らせた子供をそっと降ろした。
「誰?」
「ねえ、どうしてその子裸なの?」
子供達は口々に尋ねる。
クロスは口の前に指を一本立てて、静かにとポーズを取った。自分の口を抑え、静かにする子供達にクロスは微笑かけて口を開く。
「この子は新しい家族だよ。
そうだね……。ジャスティス。この子は、ジャスティスだよ」
眠るジャスティスの体はもう大きく、六歳くらいのように見える。しかし、その体に衣類は何も身につけていない。おそらくは赤ん坊の時に捨てられ、そのまま生きてきたのだろうと推測できる。だが、赤ん坊があの森の中でどうやって生きてきたのかがわからない。
せめて話すことができたのならばと、クロスは思うが、森の中での様子からみても、ジャスティスが言葉を知らないのは明白だった。
「……ねぇ。どうしてジャスティスは赤い髪なの?」
一人が問いかける。
人種や生まれによって、髪の色は様々ではあるが、この辺りで赤い髪の毛というのは見たことがない。クロスは赤い髪というものに聞き覚えがあったのだが、よく思い出せない。
「それがジャスティスの個性なんだよ」
そう言ってみたものの、クロスはどこか嫌な予感がしていた。
ジャスティスが目を覚ましてから、クロスや教会の子供達は慌しくなった。
言葉が通じないジャスティスに無理矢理服を着せ、言葉を教えた。調理したものを食べようとしないジャスティスに、これは安全な物だとわからせるのにも苦労した。
時には、暴れたジャスティスが子供達を傷つけたこともあった。しかし、それでも子供達はジャスティスを嫌うことなく、自分達の弟だと思い一生懸命面倒をみた。
「――と、さん」
服を着ることを覚え、他のみんなと同じように食卓についてご飯を食べるようになったある日、ジャスティスがクロスに向かって言った。これが、ジャスティスが始めて口にした単語だった。
クロスは涙を流し、子供達も歓喜の悲鳴を上げた。
「みんな、だいすき」
はにかむようにジャスティスは言った。
それからも、ジャスティスはクロスの家族として、元気に成長した。時に悪戯をして怒られ、人の手助けをして褒められた。
「待ってよ、ピースぅ」
舌足らずな声で、ジャスティスはピースを追いかけた。ジャスティスにとって、ピースは悪戯を教えてくれる少し悪いお兄さんだった。クロスの次に懐いている人物だ。
今日も、町で悪戯をしようとしていたのだが、その予定は悲鳴によって取り消される。
女性の甲高い悲鳴と、ざわめく人々。ジャスティスは不安に襲われ、クロスのところへ帰ろうとする。しかし、ピースは目を輝かせて進もうとする。
「どこ行くの?!」
「決まってるだろ? 何があるのか見に行くんだよ」
そう言って走って行ってしまうピースの後姿を見て、ジャスティスは少し迷ったが、ついて行くことに決めた。
騒ぎの中心へたどりつくと、そこには一体の魔物がいた。騒ぎの原因が魔物だとは思っていなかったピースは後ろへ後ずさる。ピースは両親を魔物に殺され、クロスのもとにやってきた子供なのだ。魔物の恐ろしさは身に染みている。
「ジャスティス……。逃げよ……」
ピースがジャスティスの手を握ろうとしたとき、ジャスティスは一歩前へ出た。
「――母さん」
危険だと、ジャスティスを引き戻そうとしたピースの手が空中で止まる。
「母さん! 帰ってきたの?!」
嬉しそうな表情を浮かべ、ジャスティスは魔物へ向かって走り出す。誰かが止めようとしたが、ジャスティスは止まらない。魔物の目の前に立ち、その毛皮に自分を埋める。
「オレ、ちゃんと家で待ってたんだよ? でも、帰ってこないんだもん……」
感動の再会のようだが、周りから見てみれば異常な光景でしかない。人間の子供が、魔物を母と呼び、魔物もそれを受け入れている。この世界にあってはならない構図だ。
ざわめく人々。固まったままのピース。そこへクロスが駆けつけてきた。
「と、さん……。ジャスティスが……」
恐怖でか、信じられない光景のためか、ピースの声は震えていた。
「帰るの? 待ってて、挨拶してくるから」
魔物にそう言って、ジャスティスが体を離した瞬間、誰かが銃の引き金を引いた。
「――え?」
銃声を耳にし、ジャスティスが振り返ると、そこには頭から赤い血を流して倒れている魔物がいた。脳を一発で打ち抜かれたのだろう。うめき声も上げず、静かに死んでいる。
「かあ、さん……? 母さん! 母さん! 起きてよ!!」
魔物にすがりつき、涙を流す。
周りの者達は何かボソボソと囁きあっている。
クロスは赤い髪というのをどこで聞いたのかを、唐突に思い出した。
赤い髪は伝説とも言われているもので、生後間もなく魔物に育てられた子供は、細胞が突然変異を起こし赤い髪になるという。しかし、魔物が人間の子供を育てるはずもなく、赤い髪はありもしない伝説として、伝説を記した本の片隅に書かれているにすぎない。
「そうか……あの子は――」
ジャスティスを始めて見つけた場所を思い出す。
あの時、クロスはジャスティスは雨風をしのごうと森をさまよっているうちに、偶然もう魔物のいない巣を見つけたのだと思っていた。しかし、事実は違っていた。
魔物の子供として生きていたジャスティスは、あの嵐の日に母親である魔物と逃げようとしていた。しかし、強風と激しい雨によって、はぐれてしまったのだ。本能的に巣へ戻ろうとしていたジャスティスをクロスは見かけたのだ。
母親もその時は生存本能から、子供を諦めて自分の身を優先したのだろうが、今になって子供を探しに戻ってきていたのだ。
「ジャスティス……」
声が枯れてしまうほど泣いていたジャスティスの肩に、クロスが優しく手を乗せる。
「とう、さん……! オレの母さんがぁ……」
言葉を覚えてからも、ジャスティスは一度も母のことを話さなかった。母などいないから話せないと思っていたのはクロスの勝手な思いこみだった。
ジャスティスははぐれてしまったがゆえに、もう二度と母とは会えないと思い、寂しさに耐えていたから、母のことを言葉にしなかったのだ。
ジャスティスが魔物に育てられていようと、クロスの優しさは変わらない。自分の息子が泣いているのだから、抱き締め、悲しみを共有しようとするのは普通のことだった。
「教会の横に、お墓を作ってあげよう。
そうしたら、いつでも会えるだろ?」
自分の腕の中で泣いている子供のために、クロスが言うと、周りの者達の反対が飛びかった。
「魔物の墓?!」
「汚らわしい!」
「神父様。お気は確かですの?」
地に伏している魔物に対してと、クロスの腕の中にいるジャスティスに対しての罵詈雑言の嵐だった。
あまりの言葉にクロスは思わずジャスティスの耳を塞ぐ。そんなことをしても、大きな声で吐かれる侮辱の言葉が聞こえなくなるはずもなかったのだが、そうするとしかクロスにはできない。
「ねえ、父さん……。どうして、みんな怒ってるの?
ねえ、どうして母さんのことを酷くいうの?」
ジャスティスはクロスの服を握り、震えていた。
「ジャスティス……!」
クロスは答えを見つけることができなかった。
魔物は悪しきものだと、言えるわけがない。この世界に存在してはいけないものなどとは言えない。
それから、ジャスティスにとって苦痛の日々が始まった。
ずっと信頼していたピースはジャスティスに冷たく当たるようになり、町の人々の目も冷たいものへと姿を変えていた。ジャスティスは外へ出ることを嫌い、一人部屋の中でじっと息を潜めているようになった。
「おい」
「――なに?」
誰にも会いたくなくて、何も聞きたくなくて、じっとしているのに、ジャスティスのもとへやってくる嫌な言葉。
「お前のせいだからな」
「お前のせいでボクらまで町の人に嫌われるんだ」
「父さんも、嫌われちゃったんだぞ」
優しくて、暖かいクロスは、子供達にとって自慢の父親だった。そんなクロスが、ジャスティスのせいで町の人に嫌われるというのはどうしても我慢できない。
だが、それはジャスティス自身も同じ気持ちなのだ。大好きな父が、自分のせいで嫌われているなど、許せるはずがない。
どうしようもない自己嫌悪と、周りからの言葉に、ジャスティスは教会を飛び出した。
懐かしい森に入り、本能のままにつき進む。たどりついたのは母親と平穏な日々を暮らしていた巣だった。月日が流れ、ずいぶん様子は変わってしまっていたが、まだ巣としての形が残っている。
「母さん……。オレは、オレはあそこにいちゃダメなのかなぁ……」
涙を流し、そう呟いたジャスティスの背後から足音が聞こえた。
「ピース?」
振り向いたジャスティスの目に映ったのは、ピースだった。
「なあ、ジャスティス……」
虚ろな目で、ピースはジャスティスに歩み寄る。
「ごめんな」
手を伸ばせば届きそうな距離にきたとき、ピースは狂気の目でそう呟いた。
「――あ、ああああ!!」
気づいたとき、ジャスティスは自分の右頬を抑えてのたうちまわっていた。
ピースの手には、赤い血が付着したナイフが握られている。
「お前なんて、あの魔物と一緒に死んじゃえばよかったんだ!」
そう叫び、ピースがジャスティスにナイフを振り下ろそうとした。だが、ナイフはジャスティスには突き刺さらなかった。
「……やめなさい。ピース」
優しい声に、ジャスティスとピースの叫び声が重なった。
「何で、父さん……!」
「早く、早く血を止めなきゃ……」
ジャスティスとピースの間に割って入ったクロスの腕からは、赤い血がとめどなく流れている。
「何を言っているんだ。お前の方が先だ」
クロスはそう言いながら、未だに血が流れているジャスティスの頬に触れた。
優しいクロスの瞳を見て、ジャスティスは決心した。
「オレ、強くなるからね」
誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
幸い、クロスの怪我もジャスティスの怪我も命に関わるようなものではなかった。ただ、どちらの傷も一生消えないものになってしまった。
一生残る傷ができたからといって、ジャスティスの周りが変わることはなかった。今までならば傷つき、部屋でふさぎこんでいただろうが、ジャスティスはもう部屋に閉じこもることはしなくなった。
誰もいない場所で密かに体を鍛え、一人でも生きていけるようにと特訓した。
「オレが弱いから、ダメなんだ」
ジャスティスが強ければ、クロスは怪我をせずにすんだ。ピースも大好きな父親を傷つけなくてすんだ。
ジャスティスが青年と呼ばれるくらいの歳になったとき、一つ騒動が起きた。
「お前! 今までの恩を忘れたのかよ!」
「ああ? んなもん知らねぇよ」
倒れるクロスと、それを囲む子供達。その目線の先には僧侶姿のジャスティスがいた。
「出ていけ! この恩知らず!」
「二度と帰ってくるな!」
「野たれ死んじまえ!」
家族だった者達から、誹謗の言葉を浴びせられながら、ジャスティスは町を出た。
もう二度とこの町には戻ってこないつもりだった。
「幸せにな」
恩知らずが一人出て行った。町の人はきっとクロスをいたわるだろう。今まで良くやったよ。でも、やっぱりあいつはダメさ。
そう言われるだろう。
「オレはヒールだからな」
僧侶になったのは、せめてもの親孝行のつもりだった。
END