とんでもない勇者は旅に出た。持ち物は特にない。
 身一つといえば聞こえはいいが、仮にも勇者がこれでは示しがつかない。
「面倒くせぇ……。瞬間移動の魔法でも使うか……」
 しかも旅を面倒くさがり、魔法を使って移動しようとまでする始末。勇者との会話で胃炎持ちとなってしまった哀れな神がこの場にいたならば『いつの間に瞬間移動の魔法など覚えた?!』などとツッコミを入れてくれることだろう。
 だがこの場に神はいない。本気で瞬間移動をしようと考え始めた勇者の耳に、スライムを殴ったような音が聞こえてきた。
「死ね!」
 音の方角には赤い髪の男が拳で巨大なスライムを潰していた。戦いなれているのか、スライムの核を確実に潰し、再生できないようにしている。
 もしも、男が普通の姿をしていたのならば、勇者は何も思わず通りすぎて行っただろう。もしも、男が姿に似合わぬほど凶悪な表情をしてなければ、多少後ろ髪を引かれる思いをしつつも通りすぎただろう。
 男は僧侶の服に身を包んでいたのだ。だが全体的にボロボロになっており、右の袖は影も形もなくなっていた。
「あいつ……本当に僧侶か?」
 確かに第三者の目から見ればそう思ってもしかたのない姿を男はしていたが、勇者だけには言われたくないだろう。
「なんだよ?」
 男が勇者に気づいた。
「お前、本当に僧侶か?」
 普通の人ならばそんなことを初対面の人間に言ったりはしない。それも相手を直視して。
「…………」
 まさかそんな言葉が返ってくるとは思っていなかった男はその場で固まった。男の予想としては「いえ、なんでもないです」などの言葉が返ってくるはずだった。
「おい。勇者様の質問だ。答えろ」
 驚きのあまり固まっている男にさらに追い討ちをかけるこの言葉。
「はぁ? 勇者? 誰が?」
 男が勇者を品定めするような目つきで見る。
 ぼさぼさの髪。左側だけ異様に袖の長いつぎはぎの服。剣どころか薬草も持ってなさそうな軽装。勇者らしきところは一つも見つからない。そう、一つも。
「お前はアホか? オレに決まってるだろ」
 勇者らしいところが一つもない勇者は堂々と宣言した。
「アホはお前だ。見ず知らずの他人。しかも下手をすれば宿無しの浮浪者にも見えるような奴に『オレは勇者だ』って言われて、はいそーですか。なんて言えるかよ」
 冷静なツッコミが入った。ここにきてようやくツッコミがきた。
「…………」
 ツッコミを浴びた勇者は黙って男の肩に手を置いた。
「なかなかいいツッコミだ。どこぞのボケ老人とは格が違うな」
 勇者はいい笑顔を見せた。まるで星が輝いているような笑顔。それなのにどこか毒々しい笑顔でもあった。
「気安く…………触るなっ!」
 笑顔の勇者のみぞおちに男は容赦なく拳を叩きこもうとするが、紙一重のところで勇者にかわされてしまう。
「いい拳してるな」
 男は勇者の笑みにぞっとした。
 まるで品定めされているような感覚。先ほど男が勇者を品定めしたときとはまったく別の目。自分の目に適わないようなものならば、壊してやる。そんな目を勇者はしていた。
「このっ……!」
 次こそはと拳をふるう男だが、全て勇者は紙一重のところでかわす。
「見かけによらずやるな」
「あんたは見かけ通りだな」
 拳だけではなく、足技まで使い始めた男の攻撃は一向に当たる気配をみせない。
 フェイントは意味を成さず、力を込めた拳は鋭い風を生むだけ。
「そろそろ、終わりにするか」
 勇者が呟いた。
 今まで防戦一方だった勇者が反撃してくるとは思ってもみなかった男はとっさに身を引いた。勇者は武器になりそうなものをまったく持っていないのだから、拳で応戦してくると思うのは当然のことだろう。
 男にとって不運だったのは、勇者には『当然』も『普通』も通用しないということ。
「――――え?」
 思わず男は声を出した。
 実践経験豊富で、大抵の攻撃ならば見切る自信のあった男でも一瞬何が起こったのかわからなかった。ただ、気づいたら地面に組み敷かれ、顔の真横には立派な剣が突きたてられていた。
「オレの勝ち……だろ?」
 勇者の言葉で我に返った男は先ほど何があったのか冷静に思い出そうとした。
 あの瞬間、勇者は魔法を放った。普通の人間ならば、魔法を使うには杖などの補助道具が必要のはずなのだが……残念ながら勇者には『普通』が通用しなかった。
 勇者の魔法によって、地面に叩きつけられた男の上に、いつの間にか剣を握っていた勇者が馬乗りになった。
 そして今にいたる。
「お前……何者だよ……」
 まだか本当に勇者なのか? と思いつつ男が尋ねる。
「お前、名前は?」
「おい、オレの質問はスルーかよ」
 男の質問を華麗にスルーしてしまう勇者にツッコミを入れた男だったが、どうやら勇者は自分が名乗るまで自分の上にい続けるらしいことがわかってしまい、渋々答えることにした。
「ヒールだ」
悪役ヒールか。とんでもねぇ名前をつける親もいたもんだな」
 勇者は人のことを言える立場ではないはずなのだが、あいにくそのことにツッコミをいれることのできる人材はこの場にはいなかった。
「うるせー。そりゃあ本名じゃねぇよ」
「なんだ。そうなのか」
 男からヒールと言う名前を聞き出せて満足したのか、勇者はあっさりとヒールの上からどいた。
「あ、別に本名とか興味ねぇから」
「じゃあ聞くなよ!」
 本名に興味はないと言い出す勇者にツッコミを入れてヒールも立ち上がる。
「本当に馬鹿だな。これから一緒に旅をするんだ。呼び名くらい必要だろ」
 とりあえずヒールは勇者の言葉をよく吟味した。たっぷり一分は考えた。
「グリーズしたか?」
「オレ、機械じゃねーし」
 グリーズ=フリーズという方程式を一瞬にして叩きだしたヒールは素早くツッコミを入れて先ほどの言葉をもう一度聞いた。
「早くも痴呆か。哀れだな。しかたないからもう一度言ってやる。ありがた――」
「そこまで言われて誰がもう一度聞くか!!」
 果てしなく上から目線になっている勇者にツッコミというなのチョップを喰らわせることに成功したヒールは自分の中でもう一度考えた。
 だが何度考えても同じ意味にたどり着いてしまう。
「とっとと行くぞヒール」
「待て。オレはいつ一緒に旅することを了承した?」
 町へ向かって歩き出す勇者にヒールが聞く。自分の記憶が正しければ了承した覚えなど一欠片もない。
「してないが何か?」
「何かじゃねーよ!」
 自分の記憶は正しかったと安心すると同時に、自分の意思とは関係なくことが進んでいるということに理不尽さを感じずにはいられない。
「……いや、なのか?」
 ニッコリ笑顔で剣を向けられたとしよう。普通の人間はどうしようもなくなる。
「…………で、勇者様の名前なんだ」
「お、勇者と信じたか」
「うるさい」
 そしてヒールは勇者ほどおかしな人間ではなかった。
「『ああああ』だ」
「…………行くぞ勇者」
「人に名前を聞いておいて名前で呼ばんのか」
「そんな名前呼ぶ気になるか!」
 もっともな理由である。作者だってそんな名前を書きたくない。
「……というか、お前そんな名前で人の名前にケチつけたのか」
「ま、オレは心が広いから許してやるよ」
「人の話を聞け。ん? お前、剣は?」
「あ? …………仕様だ。仕様」
「仕様って……まあ、お前のことだから何でもありか……」
 ため息をついたヒールはなにか色々諦めるはめになった。


END