特に目標もなく、ただ旅を続けていた。
「いやー。平和っていいな」
「お前がそんなガラかよ」
 軽口を叩きあい、道を進む。穏やかな気候のため、周りには青々と茂った草木がみえる。
 辺りの木から木の実を拝借しつつ、二人はのんびりと足を進める。始めはこの旅に何か意味があるのだろうかと疑問を抱いていたヒールだが、今ではどうでもよくなっていた。
 無茶苦茶な勇者を一人にするのは気が気ではないし、普通ではないものといることは面白い。
 一般人とは違った感覚を持っているヒールからしてみれば、勇者くらいの人間が丁度いい刺激になる。
「オレ様だって、平和の方が好きだぞ」
 この先に、余計な言葉がつくことをヒールは知っている。
「そのほうが、かき回しがいがあるからな」
 嫌味なほど爽やかな笑みを浮かべ、勇者はさらに続けた。
「活気のある人間。のびのびと育つ生き物。輝く太陽。
 どれだって、今は大切だと感じる。だが、もう少ししてみろ、それが当たり前になる」
 その日が楽しみだと勇者は笑う。普通の人間が危機感を覚える笑みを見ても、ヒールは呆れたため息を一つもらすだけ。
 時折すれ違う旅人達は、そんな二人のことを怪訝そうな目で見る。が、そんなことを気にするような二人ではないので、適当な会話とため息、そして打撃音を繰り返しながら進む。
 旅人達の身なりからしても、町が近いのは間違いなさそうだ。
「お前って、案外地理に詳しいよな」
「ま、結構旅してきたからな」
 ヒールはたまに勇者の過去が気になる。
 本当の名前も未だに知らない。どこで生まれたのか、いつから旅をしていたのか。何一つ知らない。
「全然いかされてねぇけどな」
「何で」
「金の使い方もなってないし、常識もねーし」
 何一つ知らなかったが、追求しようとは思わない。
「お前って、変なところで常識的だよな」
「オレはいつでも常識的だろ」
 途端に、勇者が腹を抱えて笑うので、ヒールは回し蹴りをくらわせる。一度、地面に倒れた勇者だが、すぐに起きあがり、右手に炎を召喚する。表情が笑っているのが怖い。
 放たれた炎を避け、腹に向かい蹴りを仕掛けるが、勇者はそれをあっさりと掴む。
「おらっ!」
 勢いよく足を引き寄せられ、バランスを崩したヒールが地面に背をつける。
「オレの勝ち、だろ?」
 頬の横には勇者の剣が刺さっている。
 出会いのときを彷彿とさせるような状況に負けを認める。
「だから早くど――」
「ああっ! 貴方はもしかして!」
 退けと言いきる前に、何者かの声が届いた。
 ヒールの上に跨りながら、振り向くと、そこには可愛いと形容させる顔立ちの青年がいた。
「勇者様、ですか?!」
 興奮のあまり、大きな瞳が潤んで揺れている。
「……お前、気持ち悪いな」
 場の時間を止めたのは勇者の一言で、再び時間を動かしたのはヒールのツッコミだった。
「初対面の人間に『気持ち悪い』はねぇだろっ!」
 跨る勇者を跳ねのけ、青年へと向きなおる。
 ふわりとした茶色の髪の毛に、丸い顔。これが少女だというのならば、手放しで褒められる容姿だ。
「……気持ち悪ぃ」
 結果として、ヒールも初対面の人間への一言は同じだった。
 二人から『気持ち悪い』と言われ、その場に膝をつく青年。あまりにも可哀想な姿に、自分の言った言葉をヒールは思い出す。
「あ、悪い。
 えっと……お前、このクソ元勇者に用事か?」
 何とか話をそらさなければと、ヒールは勇者を親指で指す。
「はい。ボク、勇者様の大ファンなんです」
 まだ落ち込んではいるが、どうにか浮上し始めた。
「こんな奴のかぁ? やめとけよ。人生やり直したほうがいいぞ」
 青年をとぼしているのか、勇者をとぼしているのかわからない。
「てか、オレのこと勇者だってよくわかったな」
 不作時の農民のような服装と言っても過言ではない勇者の姿を見て、『勇者』だと認める者はまずいない。魔王がいたころは、『勇者』としての力があったため、言われてみれば感覚で気づかないこともなかった。
 しかし、今ではその力も世界へ返され、勇者が『勇者』であった気配など微塵も感じない。
「ボク、今までの勇者様全員のファンなんです。
 むしろ勇者マニアなんです!」
 可愛らしい外見とは裏腹に、中身はそうとう濃い人間のようだ。
 輝き始めた瞳で勇者を見て、地面に鞄を降ろす。中から出てくるのは歴史書の数々。
「これと、これは、一般には出回ってない貴重な本なんですよー」
 自慢気に見せてくる何冊かの本は、昔の勇者や魔王について事細かにかかれていた。おそらく、歴史的に価値のつけられないほど重要な資料だろう。なぜ一個人が所有できているのかがわからない。
「勇者様についてずっと調べていたので、力の欠片を感じ取れました」
 二人は少しだけ青年と距離を取った。
 勇者もヒールも、普通とは一線を越えた存在だったが、青年はまた格別だ。勇者は強さ、ヒールは異端。青年は妙だった。理解も、対立することもできない。
 ある種、二人にとって天敵だ。
「あのですね。いくつか質問してもいいですか?」
 さりげに近づき、手を握ろうとしてきたので、勇者は二歩後ろにさがった。
「……聞いてやれよ」
 背を押しながら言う。
「……勘弁してくれ」
 珍しく勇者が泣き言を呟く。
「できれば、僧侶さんには席を外していただきたいのですが……」
「オッケー。んじゃ、後は頑張れよ」
 解放されることの喜びで、顔を綻ばせてヒールはさっさと逃げて行く。
「裏切り者っ!」
 両手で炎の塊を生み出し、放つ。本気の攻撃だったので、ヒールが避けられるはずもなく、遠くのほうから叫び声と煙が上がった。
「お願いします。貴方様の返答で、ボクの仮説が正しいかどうかが証明されるんです」
 逃げられないことを悟った勇者は、少しでも早く解放されるためにも、質問を聞いて適当に答えるのが一番だと結論を下した。
「早く言えよ」
「あ、ありがとうございます!」
 深々と頭を下げ、青年はポケットからメモとペンを取り出す。ポケットの中には、品物やその値段が書かれた紙がはみ出していた。身軽なその風貌からは想像できないが、青年は商人をしているらしい。
「まず、勇者様の故郷は?」
「さあ。覚えてないな」
 真面目に答えてくださいとでも言われると思っていたが、青年は何も言わずに次の質問へと移る。
「家族構成は?」
「おいおい。ストーカーかよ」
「歳は?」
「いつから見合いの席になったんだ」
「お名前は?」
「前は『ああああ』だった」
「『アビゴール』……ではなくて?」
 瞳の色が変わった。
 青年だけではない。勇者の瞳も暗く、殺気に満ちたものへと変わる。
「……何を言っている?」
 陽気な雰囲気はどこかへ消えてしまったらしい。
 平和な世界だとは思えぬほどの殺気と、冷気の中に二人は立っていた。
「先ほど使っていた剣。アレは先代の魔王『アビゴール』が使っていた魔剣です。
 文献によれば、彼は『冷たい軍神』と呼ばれた魔王で、冷徹な指導力とそれに見合う力を持っていたそうです」
 勇者は黙ったまま、青年の言葉に耳を傾ける。
「しかし、彼は魔族の中でも爪弾きにあっていました。
 何故? それは彼が不完全だったから」
 殺気が膨れ上がる。
「おい……! 何やってんだよ!」
 離れていたヒールが、殺気に気づいてやってくる。
「アビゴールの左腕は、モンスターのそれだったそうです」
 魔族とモンスターは違う。
 魔族は人間に近い形を持った、知性のある者。魔物は獣の形をとった知性なき者。人間が動物を家畜として飼うように、魔族もモンスターを家畜として扱う。
「何が言いたい!」
「落ち着けって」
 肩を掴んだヒールの手を振り払い、青年へ掴みかかる。
「――左手、見せてくださいよ」
 勇者の左手は、長い袖で隠されている。
 青年の冷たい目と、今まで感じたことのないほどの殺気に、現状が危険だということはわかった。だが、それまでだった。本気で怒ることなど滅多にない勇者をここまで怒らせた原因がわからない。
「ボクはただ、真実が知りたいんです。
 仮説があっているのか、間違っているのか」
 大きな瞳は冷たく光っている。始めの印象とは真逆の雰囲気だった。
「やっぱ、お前って気持ち悪ぃな」
 感情のこもっていない声を出し、青年の頬へ鋭い拳を振るった。
 一瞬のできごとに、青年だけではなく勇者もついていけていない。
「おい。クソ元勇者。行こうぜ」
 戦士と殴りあいをしても優に勝てるヒールの拳を受けて、青年はその場にうずくまり動くことができない。白いものが近くに転がっているのが見えたので、歯の何本かが折れてしまっているとわかる。
 そんな様子を見ても、勇者は同情の気持ちも湧かない。
「待てって」
 何事もなかったかのようにヒールの後を追いかける。
「アレ、死んだんじゃねーの?」
「馬鹿。オレは手加減ってものを知ってんだよ」
「嘘つくなよなー」
「ああ? なにが――」
 二人の声も聞こえなくなったころ、青年が動いた。懐から、一つの錠剤を取り出し、水もなく飲みこむ。
 しばらくすると、頬の腫れがひき、無残なことになっていた口の中も殴られる前と同じ景観となった。
「もう……。これで手加減? たまったもんじゃないよ」
 頬をさすりながら、二人が進んだ方角へ目を向ける。
「やっぱり、ボクの仮説は正解っぽいね」
 ニヤリと笑い、先ほど飲んだ錠剤が入っているビンを見る。
「あの人も、元魔王で元勇者なのかな」
 独り言を呟き、二人とは逆の方向へ進もうとして、足を止めた。
「あの僧侶さん。彼のこと、知ってるのかな?」
 勇者の様子からしても、その線は薄そうだ。
「……これは、まだ仮説だけど」
 誰に聞かせるでもなく青年は言葉を続けた。
「彼ら『魔王』はその力を世界へ返す。『勇者』はその力を魔王へと渡す。
 いつからか知らないけど、そうやって今の世界は成り立っている。
 力を失った『勇者』の体は魔族のものなんだよね。でも、『勇者』であったから、魔族ではない」
 二人の後を追う形で青年は足を進める。
「ボクの仮説が正しければ」
 青年の瞳には何の感情も浮かんでいなかった。

「元勇者さんは人間の数十倍の時を生きるはずなんだよねぇ」


END