とりあえず、魔王が倒されたことにより、世の中の平和は保たれた。魔物達の活動力は下がり、滅多なことでは人前に姿を現さなくなった。人々は名も知らぬ勇者を讃え、幸せな未来を喜んだ。
「意外だな」
相変わらずマイペースな足取りで目の前を歩く勇者に言う。
振り返った勇者は、いったい何のことを言っているのだろうかという風な表情をしている。
「もっと偉そうにすると思ってたんだけどな」
名誉を欲する風ではなかったが、自分がいかに他人よりも上であるかを見せつけるのが好きな性格しているとよく知っているので、魔王を倒した勇者はきっと今まで以上に自分勝手で気侭に振舞うだろうと思っていた。
そして、自分がいつも通り暴力というなの制裁を加えると確信していた。
「別にー。もう勇者じゃねーしな」
勇者は呟くように言った。
「は? どういうことだよ」
言っている言葉の意味を理解することができなかったヒールは聞き返す。
「無知め」
一言で人の言葉をバッサリと切り捨てるのはいつものこと。一々気にしていては身が持たない。勇者の言葉を無視し、ヒールは同じ質問を返す。しかも二度目は拳のオマケつき。
「……勇者や魔王ってのは、特殊なんだよ」
殴られた頭を抑えつつ、勇者は口を開いた。
「魔王は勇者に倒されたら、勇者は魔王を倒したら、その力を世界へ返す。
そして、魔王が誕生したときに勇者もまた誕生する。そうして世界は回る」
衝撃の新事実としか言いようがなかった。
勇者は世界の常識のように話すが、そのようなことを知っている者がこの世界に何人いるのだろうか。
「じゃあ、オレはお前を何て呼べばいいんだよ」
拳を固め、次はみぞおちを狙って殴る。馬鹿にしたような口調が癪に触ったというだけの理由で。
勇者は腹を抑えたまま動かない。いつもならば、殴られてなどなかったかのように平然と立ち上がり、本名で呼べだのと言ってくるはずなのだが、勇者は沈黙している。
力を入れすぎたのだろうかと、わずかな心配と共に勇者の顔を覗きこむと、額にデコピンをされた。
「何すんだ!」
痛くはなかったものの、またしても勇者にしてやられたかと思うと、ヒールはやり場のない怒りに囚われる。
「今時こんなことで騙されるとか、お前馬鹿じゃねーの?」
してやったり顔で逃げる勇者をもう一発殴るために、ヒールも走りだす。
勇者のデコピンは答えたくない質問をはぐらかすには十分過ぎるほどの効果を発揮した。
「本当、単純だよな」
この呟きに、ヒールは気づかない。
瞬間移動の魔法を使おうと思いついた勇者は呪文を唱え始める。ヒールに気づかれぬように小さな声で呪文を唱えていたのだが、魔力の変動にヒールは気づいた。
置いていかれてはたまらないと、一気に加速する。元々は無理矢理連れてこられたというのに、何故か置いていかれると思うと、勇者を追いかけてしまう。
勇者が呪文を唱え終える寸前のところで、ヒールは勇者の服の裾を掴むことに成功した。
瞬間移動の魔法独特の浮遊感を感じた後、ヒールは何処か見覚えのある風景を目にした。遠くに見える白を基本とした美しい街並みと、花々。
勇者と旅をし始める前から知っている風景だった。
「……ここは」
思い出深い場所のはずなのに、何故かヒールはここがどこなのか、いまいち思い出すことができなかった。
「おい。何をぼーっとしてんだ。さっさと行くぞ」
ヒールを置いて行こうとしたくせに、偉そうに言う勇者はすでに歩き始めていた。
記憶にある風景だというのに、一向に思い出すことのできない自分にもやもやしてたので、ヒールは勇者にツッコミという名の暴力の制裁を加えることを忘れていた。
いつものパターンからして、額に昇天突きをされることを覚悟していた勇者は拍子抜けしてしまう。
「変な物でも喰ったか」
「おかげさまで、今日は昼飯も喰えてねぇよ」
勇者の顔面に裏拳を叩きつけるついでに、ヒールは前へと進む。進めば進むほど、見覚えのある風景に、ヒールは知らずに冷汗をかいていた。
大切な場所であることは間違いないのだが、自分にとって良くない場所だということも確かだった。
それでもヒールは何も言わない。勇者に弱味を見せるなど真っ平ゴメンだ。
「ジャスティス?!」
二人の背後から声がした。
勇者が振り向くと、そこには初老の神父が立っていた。いかにもお人好しそうで、町の人にも好かれそうな雰囲気をかもしだしており、少なくとも勇者の知りあいにはいないタイプの人間だった。
世界には自分と似た顔の人間が三人はいるという。なので、誰かと間違えているのだろうと思い、ジャスティスなど知らないと冷たく言ってやろうと勇者は思った。
だが、勇者が口を開くのとほぼ同時に、ヒールが神父と逆の方向へ走りだした。
「待ちなさい!」
走りにくそうな服装をしているというのに、神父は中々の脚力でヒールを追いかける。しかし、並みの人間がヒールに追いつけるわけがない。
逃げるヒールと、それを追う謎の神父の様子を見ていた勇者は素早く移動し、ヒールの前へ踊りでる。
「どけっ!」
「断る」
勇者を殴り飛ばしてでも逃げようとしたヒールへ向けて、勇者はためらいもなく炎の魔法を浴びせた。それでもまだなお逃げようとする往生際の悪いヒールへ勇者は剣を向ける。
「鬼ごっこ終了」
ニヤリと笑い、勇者は神父の方へ目を向ける。
動きづらい服と、歳のために息をきらしている神父へヒールを差し出す。逃げれないと覚悟を決めたのか、逃げる気配はない。
「――何故、逃げ、た……」
神父の質問にヒールは答えない。
このままでは神父が一方的に質問をし、ヒールが沈黙を守るという図ができるのは目に見えていた。埒があかないと判断して、剣を軽くヒールに突き刺した。
「って!」
「口を開け。言葉を話せ。そしてオレを楽しませろ」
これまでの行動は勇者の欲求を満たすためであって、神父の手助けをしようとしたとかそういうことではない。ヒールが嫌がることは徹底的にしたいという精神の賜物以外のなにものでもない。
「お前の趣味かよ」
剣を突きつけられている態勢のため、勇者への攻撃はできないが、言いたいことは言っておく。何らかの形で反撃をしないと、胃に穴が開きかねない。
「ジャスティス! 口が悪いぞ」
「うるせぇ! んなもん、オレの勝手だろうが!」
勇者の脅しの甲斐あってか、ヒールも腹を括って神父と口論を始めた。
「そんな風に育てた覚えはないぞ……」
「あんたは真面目だもんな。だからって、オレらにもそれを押し付けんのはやめろよ!」
黙って二人の様子を観戦しようと思っていた勇者だったが、思わず割って入った。
「は? お前の親父なわけ?」
「何だと思ってたんだよ」
別に何か思っていたわけではない。ただ、ヒールが苦手としている人物なのだろうというくらいの認識しかなかった。第一、目の前にいる神父とヒールは似ても似つかない。
見た目だけで親子だと判断するには難しすぎる。
「おっと……。私としたことが。
申し遅れましたが、私はこのジャスティスの父、クロスと申します」
ヒールの父親とは思えないほど紳士的な挨拶に、たまには紳士的に返してみようかとも思った勇者だったが、言葉の一つが引っかかり、勇者の紳士的な挨拶を見ることはできなかった。
「ジャス……ティス……?」
その言葉が誰を指しているのか予想はついた。
勇者は肩を軽く奮わせながら確認する。ヒールはバツの悪そうな顔をしていた。
「はい。この子の名前です」
そう言って、神父はヒールの肩に手を置いた。
「お前ッ! 本名、ジャスティスッ!!」
笑いを抑え切れず、勇者は吹き出した。
「だから嫌なんだよこの名前!!」
気恥ずかしさと、腹立たしさで、ヒールは爆笑している勇者の顔面に拳をぶち込んだ。今日一日で一体何度勇者の顔は殴られたのだろうか。
僧侶であるにも関わらず、ヒールは肉弾戦を好む珍しい人間だ。ジャスティス(正義)というよりは、ヒール(悪役)と言った方がどう考えてもしっくりとくる。
その性格や行動パターンを熟知している勇者からしてみれば、ジャスティスという本名のミスマッチさはギャグ以外の何ものでもなく、今世紀最大のギャグにしかならない。
「失礼ですが、あなたは?」
顔面を殴られてもなお笑っている勇者にクロスが尋ねた。その右手は勇者を殴ったヒールの拳にそっと触れられていた。
「――オレは元勇者だ」
ヒールの本名に対しての笑いとは全く違う、含みのある笑みで答えた勇者にクロスは目を輝かせた。
「おお! では、この度の魔王を倒してくださったのは貴方様なのですか?!」
ヒールとは違い、クロスは勇者と魔王の力がどのように受け継がれているのか知っているらしい。教会には転生や勇者についての書物が保管されているので、おかしな話ではない。
「そういうことになるな」
否定せず、あっさりと肯定した勇者の前にクロスは跪き、感謝の言葉を述べた。勇者の格好がまともだったならば、一枚の絵になりそうな光景だ。
しかし、残念なことに勇者の姿はまともではなく、性格も伝説にあるようなものではない。いつも苦労をかけられている相手に向かって跪く父親という図に、ヒールは眩暈がした。
必死にやめろと言うヒールを横目に、勇者は心底楽しそうな表情を浮かべた。
幼いころの出来事というのは、成長してから考えると恥ずかしいことが多い。肉親はそれら全てを知っている人物なのだ。ここで情報を得ればこれからがもっと楽しくなる。
「あんたの息子、面白いな。肉弾戦派の僧侶なんて始めてだぜ」
ヒールが気まずそうな表情をし、クロスが複雑そうな表情をした。
「……そうだ! 今日はうちの教会へ泊まっていただけませんか?」
明らかに話をそらされた。
勇者は一瞬、訝しげに眉を寄せたが、すぐにいつもの笑みに戻る。
「ヒール……。いや、ジャスティス君の育った場所ってのも気になるしな。今日はそうさせてもらうか」
ジャスティスと言ったとき、笑いが含まれていたのだがヒールは何も言わない。見れば青い顔をしている。町には行かない。行くぐらいならば、ここで野宿をすると顔に書いてある。
そこまで嫌がるのならば、瞬間移動の魔法を使って別の町に行ってやろう。などという優しい気づかいを勇者が持っているわけがない。
「じゃあ行くぞ」
ヒールの腕を掴み町へ向かって進む。
いつもならば文句を言いつつもついて行くヒールだが、今回だけは本気の抵抗だった。
「絶対に行かねぇっ!」
「わがままを言うな」
「その言葉、熨斗をつけて返してやるよ!」
二人のやりとりを見ていたクロスは、ためらうような仕草を見せたあと、ヒールに向かって言った。
「今は教会に誰もいないから。裏口からきなさい」
途端にヒールは静かになった。
クロスは勇者にヒールの腕を離すように頼み、町へ足を向けた。
「――なんで一緒に行かない?」
勇者の質問にクロスは少し困ったような顔をして答えた。
「あの子にとって、あの町は居心地のいい場所ではないんです」
それだけ言って、他には何も語らなかった。
瞳を見て、追求しても答えは何も返ってこないだろうと察した勇者は、話題を変えることにした。
「そういえば、あんたは何で町から出てきてたんだ?」
魔王の死によって魔物達の姿が消えたとはいっても、町の外が危険であることに変わりはない。今も昔も、町の外に出るのは、商人や冒険者達くらいのものだ。
利益とも浪漫とも無縁の、町の神父が町の外へ出る理由などどこにもない。
「見ての通り、この辺りは平和なところなのですが、そのためか子供達も町の外に出ることが多くて……」
大の大人でも危険だというのに、子供が町の外へ出るなどあってはならない。クロスは子供達が町の外へ出て、危険な目に会わないよう、時折見回りをしていると言う。
「真面目なんだな」
呆れたように勇者が言うと、クロスは照れたように笑う。
「いえ。神父として、人々の安全を願うのは当然のことですよ」
話せば話すほど、見れば見るほど、ヒールとクロスは似ていない。
「……勇者様」
「今は違うがな」
意を決したかのような声色に対して、勇者の声は軽い。
「あの子は、私の子供ではないですよ」
勇者が気にしていると感じていたのか、クロスは寂しそうな表情を浮かべながら言った。
「そうか」
それ以上は何も言わなかった。
クロスが求めている答えなど、勇者には想像もできなかったし、できたとしても他人が欲している答えを与えてやろうとは思わない。
草を踏みしめる音だけを響かせ、勇者は白い町へ入った。町は特に栄えているわけでもなく、廃れている風でもなかった。人々は穏やかに暮らし、便利ではないが幸せな生活を送っている。
「あら神父様。また巡回に行かれてたのですか?」
「ええ。子供達の安全を神もお望みになっているはずですから」
雰囲気通り、町の人に好かれているらしいクロスは出会う人全てに声をかけられる。暖かい雰囲気が性に合わず、勇者は一歩引いたところからその様子を眺める。
優しく、誰かを嫌うことも、憎むこともないと顔に書いてある人々。嫌味ではなく、心の底からにじみ出ているそれと相容れることができない。
「そういえば、さっきピースさんがお帰りになってましたよ」
一人がそう言うと、クロスは顔を青くした。
「あ、ありがとうございます……!」
平静を取り繕っているものの、その足は先ほどよりも確実に速く動いている。
「ピースって誰だ?」
「……私の、息子です」
おそらくは実の息子ではないのだろう。ヒールと同じくクロスに拾われた孤児といったところだろうと勇者は推測した。だが、クロスが顔を青くしている理由がいまいち掴めない。
クロスの性格から言って、どれほど手に終えない子供だったとしても慈しみ、愛しているはず。喜ぶことはあっても、顔を青くする必要はない。
ようやくたどりついたのは、町の端に建てられた白い教会。色とりどりのステンドグラスもどこか薄い色で、全体的に淡い印象を受ける建物だった。
「お前、よく帰ってこれたな!」
教会の扉をクロスが開ける前に、若い男の怒声が聞こえてきた。その怒声だけで勇者はクロスが顔を青くした理由も、声の主も、怒鳴られている相手もわかった。
「ピースっ!」
勢いよく扉を開けたクロスの目には、真面目そうな男の姿が映っている。
「親父……」
バツの悪そうな顔をするピースの横で、ヒールは悔しげに唇を噛んでいた。その顔はクロスと同じく青い。
「――誰が、こんなところに帰ってくるかよ」
小さく、でもこの場にいる者全員に聞こえるように呟いたヒールは、三人に背を向けて裏口と思われる扉から外へ出て行った。
「待ちなさいジャスティス!」
クロスが引きとめようと叫んだが、もうヒールの姿はなかった。
「放っておけよ、あんな奴。それより、そっちは?」
客の目の前で家族に向かって嫌悪を向き出しにし、さらには放っておけと言う。しかし表面上は人の良さそうな笑みで勇者の紹介を待つピース。
この町の人間と同じ顔をしていた。優しく、暖かい顔。だが、ピースのそれは明らかに作られたもの。
「少なくとも、貴様みたいな奴に名乗る名前なんて持ち合わせてないな」
口元だけで笑い、勇者はピースに向かって吐き捨てた。
初対面の相手に暴言を吐かれ、ピースは怒りをあらわにする。その横をあっさりとすりぬけ、ヒールが出って行った裏口へ向かう。
「どこへ……?」
クロスの問いに勇者は意地悪気に笑う。
「あいつがへこむなんて滅多にねーからな。からかってやる」
誰かが何か言葉を返す前に、勇者は姿を消した。
裏口から町を抜けると、そこは木漏れ日がわずかにさしこむ森だった。優しい自然の暖かさが心地良い。そんな中、ただ一つの荒れた気配を頼り、勇者は足を進める。
進んでいくと、わずかに開けた場所があった。そこに勇者の探していた人物はいた。ヒールは切り株に腰をおろし、地面を見つめている。
「泣くか?」
「泣くかバーカ」
勇者が声をかけると、ヒールは顔を上げて返す。顔色は青いままだ。
「言っておくが、貴様のせいで今日の宿を逃したんだ。夕食の材料は貴様が集めてこい」
勝手に追ってきたくせに。そう思ったヒールが口に思いを乗せる前に、勇者がヒールの腰辺りを蹴り上げた。
「いってぇ!」
勇者の蹴りに、思わず立ち上がったヒールを見て、勇者は楽しげに口の端を上げる。
「このオレが言っているんだ。とっとと行け」
「お前は何様だ!」
すっかりいつものテンションに戻ったヒールが叫ぶと、勇者は一瞬考えてから返す。
「元勇者様だ」
END