今日もまた、私は戦う。
 それが苦だと感じたことはない。訂正。私は何かを感じたことはない。私を作った人間達は、私も様々なことを感じ、考え、人間のように生きれるはずだと言っていた。
 考えることはできる。しかし、何も感じない。私は、欠陥品なのだろうか。
『太平洋帝国領空ニ無許可ノ非行物体侵入』
 システムが知らせてきた。
 私の役目はこの太平洋帝国を守ること。速やかに敵機を落とすこと。
 私は必要のない羽根を使い、敵機が侵入したと思われる領空に向かう。
「ここは太平洋帝国領空。すみやかに退却しない場合、実力行使にでる」
 目の前にいるのは帝欧帝国製の戦争ロボット。
 特徴は派手な色使いに、大量の武器の所持。弱点はスピード。
 少なくとも、私が負けることはない。
「ワレハ、帝欧帝国ノセンソウロボット」
 私とは違う、機械音声。
 大量の銃器の一つが私に向けられる。
「アンゴルモア。キサマヲハカイスル」
 それしかここへくる目的がないのはわかっている。
「キエロ」
 発射されたのは起爆性のある銃弾。避けれたとしても、爆発によってダメージを与えられるという優れ物。
「けれども――」
 それは数年前までの話。そう、私が誕生する前の話。
 瞬時に私の防衛システムにパスワードを入れる。時間にして0‘01秒。決して短い時間ではないが、現段階ではこれで十分だ。
 パスワードを確認したシステムは、すぐさま電磁バリアーを張る。
 電磁バリアーはあっさりと起爆性のある銃弾を防いだ。私には何のダメージもない。
 爆発による煙幕に乗じて、私は腰につけられている鋼鉄性のポシェットに手を入れた。中に入ってあるのは二次元変換紙。太平洋帝国の特殊技術によって開発されたもの。
 普段は薄く、ただの紙にしか見えない。が、私の持つ特殊な電磁波を息として吹きかければ、それは三次元のものへと変換される。
「警告を無視しました。破壊します」
 巨大戦艦でもたちまち沈んでしまうだろうと言われている巨大銃を向け、私は引き金を引いた。

 今日も太平洋帝国は平和だ。



「アンゴルモア。大丈夫?」
「大丈夫です」
 研究施設へ戻ってきた私を迎えてくれたのは、私を作り出した人間の一人。
「私は太平洋帝国が作り出した最強のロボット。アンゴルモアです」
 そう。私は、かつて世界中の人々が恐れた恐怖の大王が蘇らさんとしていたアンゴルモア。
 昔、様々なことを予言し、それを当ててきた人物が予言した、世界を滅ぼす者の名を受け継いでいるのだ。
「確かにあなたは我が国の最強ロボットよ。でも、過信しちゃダメ」
 この国の人々はいつも用心深い。私は素直に頷いておく。
「本当に? 約束できる?」
「約束……。その優先度は命令より下になるため、保障できかねます」
 どんなことがあっても、命令は優先される。これはロボットとして生まれた私の義務だ。
「命令。命令。命令!
 もう。あなたって本当に命令が好きね」
 別に命令が好きなわけではない。
「この国は他の国と違って、軍にあまり感心がないんだから、少しくらい命令を聞かなくたっていいのよ?」
 彼女はそういうが、そもそも私は生まれてからまだ一つのことしか命令されていない。
『この国を守れ』その命令だけなのだ。
 侵略しろとも、滅ぼせとも命令されていない。
 私は、大量殺戮兵器だというのに。
「だから、お茶でもしましょ」
 ニッコリと笑う彼女に逆らえる者などいない。そして、私には断る理由もなかった。
「了解」
 私には、口に入れたものをエネルギーに変換する機能が備わっているため、お茶もできるし、食事も人間と同じようにできる。
「もー。了解じゃなくて、うん。って言ってよ」
「そう言わなければならない理由が私にはわかりません」
「だって、その方が可愛いじゃない」
 彼女の言いぶんはわかった。いわゆる感情的な問題なのだ。その問題によって、何か弊害がおきたりするようなことは滅多にない。なので、これは無視してもよいことだ。
「今日は何のお茶ですか?」
 話を変えることも私は得意だ。
「今日はねー」
 そうやって嬉しそうに話す彼女を見ていると、何故か暖かくなる。体温は上昇していないのだが、確かに何処かが暖かくなる。私はこの現象がよくわからない。
 何度もメンテナンスを受けたことはあるが、バグが発見されたとは聞いていない。
 だから、今はお茶をすることにしよう。
 彼女の話は実に興味深く、納得させられることも多い。
「問題! 今、ある四つの国を答えよ!」
 彼女は時々こういった意味のわからない問題をだしてくる。問題の意味自体はわかるのだが、何故今それを聞くのかわからない。
「ここ『太平洋帝国』
旧欧州諸国が集まった『帝欧帝国』
昔、強大な勢力を誇っていた『アメリカ帝国』
欧州を除いたユーラシア大陸の国々による『ユーラシア帝国』
以上四国です」
「正解」
 間違っているはずがない。私は太平洋帝国以外の三国からこの国を守るために作られたのだから。
「では、太平洋帝国の特徴とは?」
 またクイズか。
「昔『日本』と呼ばれていた国が海底を底上げし、陸を浮上させることに成功したことから出来た帝国のため、元々は海であった場所が多い。しかし、その科学力により、自然を増やし、土地を肥沃にさせることに成功したため、農業が盛んである。
 他の国が軍事に力を入れているのとは反対に、太平洋帝国ではロボットの製作、修理以外の者が軍には所属していない。国民の多くは農業、漁業といった職についている。
 また、失われつつあった八百の神の信仰が復活し、妖怪信仰も復活している。科学が発達し、宗教などが退化した今の時代では珍しい帝国である」
 私のデータベースに入っている情報をそのまま述べると、彼女は笑顔で正解と言った。
「だから。あなたもちょっとは楽にしたら?」
 やはり彼女の言っていることは意味がわからない。
 今の話からどうして私の話しになるのだろうか。
「軍部の人間なんて、百人程度。国民達だって軍部に何かを求めてるわけじゃないわ」
「それは国民が争いに巻き込まれていないから」
 私がこの国を襲撃から守っているからこその平和。
 もしも私がいなかったら、この国が他の国からの襲撃を毎日くらうような国だったとしたら、軍部はもっと強化されるだろう。国民は軍に力を求めるだろう。
 私は自由を許されている。命令以外のことならば何をしても良しとされている。しかし、私はこの国を守ることで精一杯なのだ。
「ごちそうさまでした。私はパトロールにもどります」
 お辞儀をして私は研究施設を出た。
 エネルギー率100%。回路異常なし。装甲異常なし。
 私はアンゴルモア。他国に恐怖を与える存在。不備があってはならない。
「あ、アンゴルモアちゃん」
 この世界で私をアンゴルモアちゃんと呼ぶのは一人しかいない。彼女でさえ私のことをアンゴルモアと呼ぶのだ。
「何か用ですか?」
 私を呼んだのは、彼女の彼氏だ。
 軍部の人間ではないが、彼女に会うためによくここを訪れる。軍部の基地とはいえ、最重要部以外は一般人でも自由に出入りができる。やはりこの国は変わっている。と私は考える。
「いや。用があるわけじゃないけど。
 こんにちは」
「……こんにちは」
 挨拶のためだけに呼びとめられたらしい。
「ねえ。こんど一緒に買い物にでも行かない?」
 彼は好意を寄せる女性がいるというのに、こうして誰とでも気軽に接触する。そのために、彼女がどのような思いでいるのかなど、知るよしもない。
「丁重にお断りします」
「あ……そう」
 残念そうにしているが、彼には他にもたくさんの友人がいるので、一人で買い物に行くということはないだろう。
「いいじゃない。三人で買い物に行きましょうよ」
 彼と別れ、それに飛びたとうとしていた私に彼女が言った。いつの間に追いかけてきていたのだろうか。いくら戦闘モードではいとはいえ、人間の気配に気づかないというのはあまり誇れる事態ではない。
「いいねぇ!」
「じゃあ今から行きましょ」
 この二人は似た者同士だ。
 いつ何を言い出すのかわからない。現に、どうしてか今すぐ買い物に行くと言う話になっている。私は行く気がないと言っているというのに。
「命令とあれば行きます」
「…………」
 こう言えば、彼女は命令でないと言うことは今までの経験からわかっていた。命令でないと言うのであれば、私はこの国を守ると言う命令に従わねばならない。これで解放される。
「うん。命令。命令よ!」
「…………め、いれい……ですか」
 不足の事態が起きた。
 まさか、彼女が命令という言葉を使うとは信じられない。あれほど命令を嫌い、私に命令など聞かなくてもいいと言っていた彼女が、今私に命令をした。
 彼女はロボット研究部の部長なので、その命令力は強い。
「了解。今から買い物に行きます」
 彼女は満足気に笑い、財布を取ってくると告げて施設の中にある彼女の自室に向かって走り去った。
「よほどキミと買い物に行きたかったんだな」
 そういう彼の言葉が私には理解できない。
 何故私と買い物に行きたくなるのだろうか。何故わざわざ命令を使ってまで。
「町に出て、色々経験すればキミも人間らしくなるかもよ?」
 彼が嬉しそうに言っているが、私は人間になりたいと思ったことはない。
 敵国と戦い、敵を破壊する。それが私が私であるために必要なこと。人間になる必要などない。
「まあ。町に行けば考えも変わるかもよ?」
 私は町を見たことはあるが、その中へ入ったことはない。
 私の知っている人間は軍部の人間と、彼だけだ。一般人というものを知ることに何か意味があるのかもしれない。
 彼女は私から見れば謎だらけで、理論性がないとろこがあるが、間違いなく彼女は天才だ。わずか十歳で博士号を取ったと私のデータベースにはある。
 さらに、私を作り出した母とも呼べる存在なのだ。彼女の存在で、太平洋帝国の技術力は数十年分は向上したと言われている。
「おまたせー」
 とてもそうは見えないが、馬鹿と天才は紙一重という言葉もある。私は彼女と彼の腰を抱き上げた。
「では一番近い町へ向かいます」
 背中に羽根を出現させ、一番近い町へと飛ぶ。一番近いとはいえ、この研究施設は人里離れた場所にあるので、町までは少々距離がある。
「重くないのかい?」
「私はどのような武器でも扱える腕力が備わっています」
 不安げな彼とは裏腹に、彼女は気持ちよさそうに風を感じている。時速四十キロほどしか出していないが、空を飛んだので町にすぐついた。
「到着」
 彼と彼女をそっと地面に降ろす。人間は脆いので慎重に扱わなければならない。
「ありがとう」
 丁重にオレを言う彼とは違い、彼女は素早く辺りを見回し、面白そうな店を探し始めていた。
「おや。所長さんがくるとは珍しいね」
「しょちょーさん!」
 私は町へきていきなり一つ学んだ。
 どうやら彼女は、私が思っていた以上に有名人らしい。
「今日、やってアンゴルモアを捕まえたの!」
「えっ! ようやく!」
「どの子―?」
 彼女の言葉に周りの人がざわめく。
「おいで」
 彼女に言われ、私は前へ進む。
 周りの人から興味の視線が私に注がれる。
「この子がアンゴルモア」
 彼女に紹介されたが、周りの人は何も言わない。驚いているように見える。
「…………人間。そのものだねぇ」
 誰かが呟いた。
「本当に」
「どうみても女の子だ」
 次々に出てくる言葉は、私がロボットだとは信じられないという類の言葉だった。
 この太平洋帝国においても、私以外のロボットはまだロボットらしい概装をしている。思考することは今では大抵のロボットができるが、私のように小型化をするのは難しい。
 より思慮深く、より強く作るには、それだけ多くの部品が必要となる。当然、体格も大きくなる。
「私の体は全て金属でできている」
 そう言って、近くにいた子供に体を触らせる。
「本当だ……。服に見えるけど、これも金属だ」
 私に服など必要ない。全て金属で作られた体の一部。
「胸のリボンはいざという時ほどくことができるように設計されている。これを解けば、ある程度の攻撃ならば無効化することができる。
 さらに、スカートは羽根が使用不可能になった場合に、ジェット噴射で空を飛べるように作られている」
 一つ一つ説明すると、周りにいた少年達は目を輝かせていく。
 幼い子供はロボットが好きだというデータは間違っていなかったようだ。
「アンゴルモアお姉ちゃん。いつもありがとう」
 少年に私の体について教えていると、少女がやってきて、私に花束を渡した。桃色をベースとし、所々に白や黄色といった色の花があり、とても美しい。
「何故、私に?」
 問いかけると、少女は笑顔を崩さずに答えてくれた。
「だって、アンゴルモアお姉ちゃんがいつもこの国を守ってくれているんでしょ?」
 貰った花束よりも美しく、明るい笑顔に、私は自分の視覚回路が壊れてしまったのかと思った。
「お姉ちゃんがいるから、この花を育てることもできたし、お魚さんを食べることもできるんだって、お母さん言ってたもん」
 それは命令だからやっていることにすぎない。感謝されるようなことではない。
「私は、そうするために生まれてきている。感謝など必要ない」
 そう告げると、少女は悲しそうに眉を下げた。好意を無下にされた悲しみ。もう少し言い方というものがあったのかもしれない。
 私は子供と会話しかことがないため、子供にあった話し方というのはよくわからない。
「……お姉ちゃん、そんな悲しいこと言わないで?」
 少女は私の腕を悲しげに掴んできた。よく見れば、先ほどまで目を輝かせていた少年達も悲しげな瞳で私を見ている。
「所長さん、いつも言ってるよ?
 壊すための兵器を作ったわけじゃないって」
 彼女はよくここに来ているらしい。研究施設から一番近い町なのだから、当然と言えば当然のことなのだが。
「所長さんは英雄(ヒーロー)になる娘を生んだんだって言ってるよ」
 少年の一人がそう言う。
 私は大量殺戮兵器であり、人間ではない。人間の子供であるはずがないし、英雄になどなれるはずがない。
 反論しようと考え、口を開いてから私は思い当たった。
 大量殺戮兵器に守られている。と考えるか、英雄に守られていると考える。どちらの方がより気持ちが安らぐかなど、考えるまでもない。
「…………」
 思い当たったのはいいが、それをどう言葉にすればいいかわからず、私は黙って頷いた。
 どうやら、私の予測は当たっていたらしく、少年達は笑った。
 私はこの国を守るように命令されている。子供達の夢を守るということも、この国を守るということの一つに入っている。と、私は考えている。実際のところどうなのか、研究施設に帰ってから彼女に聞いてみなければ。
 いつまで経っても私の周りから人はいなくならなかった。
 このままでは買い物などできないのではないかと危惧したが、彼女も彼もそれでかまわないらしく、なにやら私のことを自慢しているらしい。
 町の人々と話すのは始めての経験であったが、自然と頬が緩むような気がした。私は機械なので頬が緩むことなどないが、比喩的表現をするならば、頬が緩むというのが一番適切だと感じる。
 今の私がどういう気分なのかは、彼女に聞かずともわかった。
 これは、人間でいう『楽しい』という感情なのだろう。
 そうか。彼女とお茶をするとき、私の中に湧く暖かさはこれと同じものだ。
『太平洋帝国領空ニ無許可ノ非行物体ガ複数侵入』
 始めて気づいた自分の感情に戸惑っている私に、システムが呼びかけてきた。
 私はアンゴルモア。敵国からこの国を守る殺戮兵器だということを忘れるところだった。
 私には感情など必要ない。彼女が私にそれを望んでいるとしても、それは得るべきではない。
「アンゴルモア。出動します」
 もしも、感情など得てしまえば、この場を離れることが名残惜しくなってしまう。
 私は行かないでという子供達の声を無視して空へ飛びたつ。
 私のスピードを持ってすれば、敵機のいる領空へすぐにたどりつく。
「ここは太平洋帝国領空。すみやかに退却しない場合、実力行使にでる」
 聞き入れられることはないだろう台詞を述べつつ、私は戦闘態勢にはいる。
 今までとはあきらかに違う雰囲気に私も自然と用心深くなる。
 私の目の前には三国のロボットが数十体ずつ集結していた。今まではこのようなことはありえなかった。
 三国が手を組んだというのだろうか。そのような情報は流れてきていないが、三国が共通の敵として太平洋帝国を選んだのならば、情報が流れてきていないとしてもおかしくはない。
「アンゴルモアノハカイ」
 やはりそれが目的か。
 それさえわかれば、他に言葉はいらない。私はすぐさま武器を取り出した。
 敵機総数百機余り。数で攻められたとしても私ならば勝てる自信がある。しかし、国に少しの損害も与えず、全ての敵機を倒せるかと問われれば、その確率は非常に低い。
 少しでも早く敵を殲滅させる。それが最善の方法だ。
 銃器を出し、撃つ。弾がきれれば新しい銃器を取り出す。敵の攻撃はバリアーで防ぐのではなく、素早く避けるようにする。
 その方が攻撃に移りやすい。
 何度も繰りかえせば、必然的に敵機は減っていく。それと同時に、私の体も傷ついていく。
「――――おかしい」
 どう考えてもおかしい。
 敵機が私のことを知りすぎているように感じる。
 始めのころは敵機の統一ができておらず、楽に撃ち落とすことのできていたけれど、敵機の数が減り、統一感が出てきたころから形勢が逆転し始めている。
 まずは私の空中浮遊機能を潰すため、羽根とスカートを徹底的に狙い、ある程度の損傷を与えた後は私の息を潰しにかかってくる。
 今までの戦闘からある程度の機能が敵国に知られてしまったとしても、ここまで正確に私の機能を把握することはできない。
 少なくとも、私は今まで空を飛ぶときは羽根しか使ってこなかったのだから、スカートを狙われる理由がわからない。
「こちらアンゴルモア。
 私の機能について敵機が知りすぎている。スパイがいる可能性がある」
 私は軍部の人間がつけることを義務づけられている腕輪を通して、全軍事員に報告する。
 国を裏切るスパイは許さない。
 スパイを特定するのは人間に任せておけばいい。私は目の前の敵の殲滅に全力をつくす。
「私はアンゴルモア。
 恐怖の大王を呼び起こす者」
 私の情報をいくら得たところで、私には勝てないとわからせる。
 敵国に恐怖を落としてみせよう。



 あの子が敵機を倒すため、空に飛びたった。
 私はそれを見送る。周りの子供達があの子を引き止めるけど、私には引き止める権利なんてない。
「あの子が行ったからには大丈夫。
さあ、みんな普段の生活に戻って、戻って!」
 私はあの子の力を絶対的に信じてる。あの子がいる限り、この国に民を巻き込んだ戦争は持ち込ませない。
「じゃあボク達も帰ろうか」
 彼が言う。
 そもそも、この町にきたのはあの子のためだったから、あの子がいない今、私達がここにいる理由はない。
「そうね。あ、せっかくだから、久しぶりにあなたの家に行きましょ!」
 いつも彼が私の家。というか研究施設にきてくれてるから、たまには彼の家にいかないとね。
 彼も笑って家に招待してくれた。
 他愛もない話をして、あの子の話もたくさんした。
 そんな時だった、あの子から通信が入ったのは。
「こちらアンゴルモア。
 私の機能について敵機が知りすぎている。スパイがいる可能性がある」
 この時ほど、私は自分の頭脳を恨んだことはないわ。
 だって、私はすぐにスパイが誰かわかってしまった。
「……あなたなんでしょ?」
 いつも持ち歩いている銃を素早く取り出し、愛しい彼につきつける。
もちろん彼は首を傾げてなんのことかわからないと言う。
このまま引き金を引いてしまえば、この茶番を終わらせることができるのだけれど、私はあえてそうしなかった。
「スパイ」
 だって、彼は私の恋人だもの。
「……なんのことだい?」
 図星をつかれ、彼は少し表情を変えた。こんな事で表情を変えるようなスパイを使っていてはダメよね。
「あの子の情報を他国に売り渡したのはあなたでしょ?
 あなたほどあの研究施設に出入りしていて、あの子のことについて詳しい一般人はいないのよ」
 銃を向けたまま言葉を紡ぐ。
 早く引き金を引いてしまわないといけないのだけれど、あと少しだけ彼と喋っていたい。
「わからないじゃないか。研究施設の人がスパイなのかも……?」
 他の国なら、研究施設の人間が疑われたでしょうよ。でも、この国は違うわ。
「この国の軍事員は他国との接触を禁じられているわ。他国の電波を受け取れないように特殊な腕輪を一生つけられ、国外には手紙も出せない」
「そんなこと、ボク聞いたことないよ」
 当たり前のことを言わないで欲しいわ。
「軍事機密よ」
 私はまだ若いけれど、軍人よ。公私混同は決してしない。今のこの瞬間を除いてはね。
「どうして裏切ったの?」
 彼にどうしても一つだけ聞きたかった。私も彼もこの国を愛しているとばかり思っていたから。
 平和で、豊かな国。それがこの国じゃない。
「何故、科学が発達しているのに、みんな自分の体を泥だらけにして畑を作るんだ?
 凄まじい兵器を持っているのに、他の国を侵略しないのは何故?
 ボクはね、この国のそういうところが昔から大っ嫌いだったんだ」
 そういう考えの人間がいることは知っていたわ。
誰もが平和を願っているわけじゃない。畑を耕すのが嫌な人だっている。私はそれを責めることはしない。だって、人の考え、感じかたはそれぞれだもの。
 でもね、この国を滅ぼされたら困るの。
「……キミは、ボクの恋人だよね?」
「ええそうよ」
 私の愛しい人。愛しているわ。
「なら、見逃してくれないか?」
 その言葉は予想済みよ。
「そうしたいわ」
 でも、できないの。
「あなたはしてはいけないことをしたんだもの」
 私の表情はどんなのかしら。
 悲しげな顔。冷たい顔。怒りを堪えた顔。きっとどれとも取れる顔をしてるわ。
「一つ。私の愛する国を裏切った」
 一歩近づき、銃についているスイッチを押した。
 この銃は私が開発したもので、スイッチ一つで、目の前にいる者を梗塞することができる。
「二つ。私を裏切った」
 梗塞され、慌てふためく彼に私はさらに近づく。見たところ武器は持っていないみたい。
「三つ。これが一番してはいけないこと」
 彼の頭に銃口をピッタリとくっつける。
「私の子供を傷つけるようなことをした」
 まだ本当の子供を生んだことはないけれど、あの子は私の大切な子供なのよ。あの子を壊そうだなんて、万死に値するわ。
「――――ヒドイ、母親だね」
 その言葉が彼の最期の言葉だった。
 あなたに言われなくたってわかってるわ。私は酷い母親だって。
 私はあの子に感情を与えた。いつかあの子は恋をして、自分では相手と共に生きることができないと嘆く。大切な誰かが死んで、自分の命が無限であることを恨む。
 本当に優しい母親なら、あの子に感情を与えない。
 私は愛した人の無残な死体に涙を流し、静かに彼の家から立ち去った。
「殲滅完了」
 腕輪から聞こえてきた声に微笑む。
「スパイ発見。機密保持のため粛清。以下の住所にある死体を始末されたし」
 本部へ連絡をいれ、さっきまでいた場所の住所を正確に告げる。
 明日からの生活は少し変わるわ。
 私の好きな人はこなくなる。
 あの子は私と一緒にショッピングに行くようになる。
 私は彼ほど人を愛さなくなる。
 あの子は少しずつ人間に近づく。
 そして、大きな戦争が始まる。


END