私は龍だ。
 さあ、君はこれを聞いてどう思った?
 そんなものがいるわけがないと思ったかもしれない。だが、私たちは確かに存在する。たとえ君が私たちの存在を知らなくとも、それは真実なのだよ。
 そして私は君へ、そして大勢の人々へ、一つの物語を読んでほしくてこの文を書いている。
 おや? 君は私が大きな手で、小さなパソコンのキーボードを叩いているとでも思っているのかい?
 それはとても愉快な想像だが、残念なことにそれは違う。
 私は今、人間にとり憑いてこの文章を打っているのだ。
 霊が乗り移っているような感覚。とでも言えばわかりやすいかな?
 そろそろ本題に入りたいところなのだが、その前に言いたいことがある。それは、人間とはなんて不思議なのだろうということだ。
 君たちは永遠の命を持っている。記憶という名の永遠。誰か一人でも君のことを覚えている。それだけで君は『生きる』ことができるのだろ? 私はそれが不思議でならない。そして、それが羨ましくてしかたがないのだ。
 ああ、わかっている。私なんぞのつまらない話はもういいと言いたいのだろ?

 では、話し始めよう。そう、あれはまだ私が若く、人間のことなどよく知らなかったころの話。私は、一人の少年と出会った。



 私たち龍の姿は人間には見えない。いわゆる『空気』や『霊』と同じようなものなのだ。そこには確かにあるが、目には見えない存在。それが私たちなのだ。
 ある日、私は興味本意で一人の人間にとり憑いた。
 私がとり憑いた人間はまだ幼い少年だった。幼いとは言っても、私の感覚であって、君達にはどういう風に感じているのかはわからない。
 少年は真っ白な部屋、真っ白なシーツに包《くる》まっていた。まだ人間のことをよく知らなかった私はその部屋のことがわからなかった。
 今思えば、あの部屋は病院の個室だったのだろうな。
 少年は眠っていた。意識は深く、深く沈んでいて、少年の中に入った私にさえ少年の意思がどこにあるのかわからなかった。
「起きたの……?」
 私が起きると、近くにいた一人の女性が私に、いや、私がとり憑いた少年に近づいてきた。後に知ることになるのだが、彼女は『母親』と呼ばれる種類の人間だった。
 彼女は少年の体に抱きついて涙を流していた。
「…………」
 私は何と言っていいのかわからなかった。ただ、母親が泣いていると言うことと、周りの白い服に身を包んだ者達が信じられないものを見るような目で私を見ていることだけはわかった。
 私はしばらくわけのわからない装置に入れられたり、体を調べられたりした。
 正直、気味が悪かったが、人間の世界では当然のように行われていることらしい。
 そんな気味の悪い行為は日が沈むまで続けられ、空が暗くなり始めたころ、私はようやく少年の家へと連れて行かれた。
 この少年はずっと昏睡状態なるものになっていて家に帰れなかったらしいのだが、今は怪我も病もなく、彼の体は元気そのものだった。
「さ、今日はあなたの大好きなものを作るからね」
 私が気味の悪いことをされている間、男の方……『父親』とでもいう者だったような気がする。とにかくその者に私を任せ、何処かへ行っていた母親は笑顔で料理をしていた。
『少年よ、君は一体何が好きだった?』
 答えが返ってくるなどとは思っていなかった。私は少年と私の好みが合っていればいいと思っただけだった。
『ボクはね、フルーツサラダが好きだよ』
 深いところで眠っていたはずの少年が答えた。
 少年の意識は眠たそうだったが、その声は確かに笑っていた。
『奇遇だな。私も野菜や果物は好きだ』
『そう。よかった』
 少年は私について何も聞かなかった。私も少年のことは聞かなかった。
 時間はまだまだあると思っていたのだ。これからいくらでも知ればいい。何故少年の意識がこちら側に返ってきたのか、何故少年は今まで帰ってこなかったのか。全ては時が教えてくれると信じていた。


 少年と私は共に生きた。
 表に出ているのは常に私だったが、少年はいつも私に様々なことを教えてくれた。
 たくさんの遊びを、たくさんの食べ物のことを、たくさんの建物のことを、たくさんの道具についても教えてくれた。
 少年は学校が好きだと言った。勉強が好きなのだと。私は規則に縛られる学校は嫌いだったが、少年が望むので毎日学校へ行った。
 だが、そうこうしているうちに私も学校が好きになっていた。様々なことを教えてくれ、様々な者達と共に過ごす。それが不思議と楽しかった。
 私が学校の者達と遊ぶと少年も喜んだ。こんなに楽しいことはないと言った。ぶつかって、怪我をして、血を流しても少年は楽しいと笑っていた。
 私はずっと、ずっとこのままでもいいとさえ思った。理由などはない。いや、理由はある。楽しいからだ。少年と生きるのが、人間と生きるのが。
『ねえ。君は、ボクがいなくなってもボクのことを覚えていてくれる?』
 ある日少年が尋ねてきた。
『……? 何を言っている。当然だろう』
 私の寿命は人間とは比べ物にならないくらい長い。だが、こんなに楽しく、充実した年月を忘れることはない。
『よかった……』
『どうしたというのだ?』
 私は嫌な予感がしたが全て気のせいだと信じた。
『ボクね、もう死ぬんだ』
 嘘だと反論したかった。したかったが、私にはできなかった。少年と体を共有している私がそのことに気づかないはずがなかった。

 少年の体はもう長くない。

 知っていた。知っていたが気づかないふりをしていた。
『いいんだ。知ってたから。ボクはずっと体が弱かった。友達と遊ぶことも学校へ行くこともままならないくらい。
 だからボクはずっと眠っていた。でも、君がきてくれたから、ボクはたくさん楽しいことができた。もう、お別れなのが、寂しいけど……。幸せだった。
 ボクのこと、忘れないで。君が覚えていてくれるかぎりボクは死なないから』
 少年は私に何も言わせなかった。彼は自分の言いたいことを言うと息絶えてしまった。
 体が死に、私は強制的に体を追い出された。
 私は少年に聞きかいと思っていた。本当に幸せだったのか。私が覚えていれば少年は本当にずっと生きていられるのか?
 今ならわかる気がする。少年は確かに私の中で生きている。だが私は近々死ぬ予定だ。
 私は死ぬのは怖くない。ただ、少年が死んでしまうのが怖い。
 だから私は少年のことをこの物語を読んでくれている君達に伝えたい。そうすれば君達の中で少年は生き続ける。
 少年は優しかった。少年は不思議だった。少年は強かった。少年は、少年は、私にとって、ただ一人、人間の友達だ。
 ああ、少年の名を伝えねばならないな。少年の名前は、     だ。
 私の名前? 私の名前なんぞ聞いてもしかたがないさ。私は長く生きた。もうこれ以上生きたいとは思わない。
 少年も私と同じように思っているのだろうか? だが少年よ、残念だったな。私は君に生きて欲しい。例え――



これが私のエゴだったとしても。

END