男は森を歩いていました。
 暗い、暗い森でした。

 男は腕のない女性と出会いました。
 そして、こう言いました。

「ああ、なんて可哀想な人なんだ。
 腕がなければ何もできない。
 できることならば、ボクのこの腕をあげたいよ」

 女性は笑いました。

「何を言っているの?
 私には野を駆ける足があるわ。
 青い空を映す目だってある。
 不自由だけれど、何でもできるわ」

 戸惑う男に女性は言うのです。

「可哀想なのはあなたよ」





 男は森を歩きます。
 すると、足のない少年と出会いました。

 男は言います。

「ああ、なんて可哀想な子なんだ。
 足がなければ何もできない。
 できることならば、ボクのこの足をあげたいよ」

 少年は不思議そうに言い返します。

「何を言ってるの?
 ボクにはあなたの声を聞く耳がある。
 描くための腕だってあるんだ。
 不自由だけど、何だってできるんだ」

 少年は悲しそうな瞳で言います。

「可哀想なのはあなただよ」




 男はまだまだ森を歩きます。
 今度は目の見えない老婆に出会いました。

 男は言うのです。

「ああ、なんて可哀想なお方だ。
 目が見えなければ何もできない。
 できることならば、ボクのこの目をあげたいよ」

 老婆は男を見ずに優しく言いました。

「何を言っているんだい?
 私には自由に歩く足がある。
 お前さんの声を聞くことだってできる。
 不自由だけどね、何だってできるんだよ」

 老婆は男の手に触れながら言いました。

「可哀想なのはお前さんだよ」




 男は足取り重く森を歩きます。
 次は耳の聞こえないおじさんに出会いました。

 男は地面にこう書きました。

「ああ、なんて可哀想な人だ。
 耳が聞こえなければ何もできない。
 できることならば、ボクのこの耳をあげたいよ」

 おじさんは男の文字を消し、新たに書きます。

「何を言っているんだい?
 私には君を映す目がある。
 こうして字を書く腕もある。
 不自由だけど、何でもできるよ」

 その下にまた文字を書きました。

「可哀想なのはあんただよ」




 男は歩きます。
 そして気づきました。

 腕が、足が動かない。目は何も映さないし、耳は音の波を感じない。

 何もできません。
 男は悲しくて、悲しくて、たくさんのことを考えました。

 ただ一つ、男は考えることだけはできたのです。

「ああ、ボクはなんて可哀想なんだ!」

 男は叫びます。


 女性は言いました。
「あなたは可哀想ね」

 少年が続けます。
「ボク達の状態に同情ばかり」

 老婆がさらに言葉を紡ぎます。
「そんなものはいらないよ」

 おじさんが紙に文字を書きました。
「よく自分で考えてみなさい」


 男は可哀想でした。
 何も自分では考えることができなかったのです。
 周りが可哀想だと言う人々を、同じように可哀想と言っただけです。

「どうして、あんた達はそんなに幸せそうなんだ」

 男が尋ねると、彼らは笑いました。

「幸せそうに見える?」
「それはよかった」
「私達は幸せになりたいの」
「そのために必要なのは同情じゃない」

 男が何も答えずにいると、女性が言いました。

「私がいなくなった後、彼女は幸せそうだったと言ってほしいの」
「だって、それは事実になるでしょ?」

 いなくなってからまで、可哀想な人生だったと言われたくない。



「だから、あなたは可哀想なのよ」



 男は小さくうなずいた。