ヒーローとは、強くて、勇気があって、優しい。そんなイメージを誰もが持っている。
「うわああああ!」
 公園で遊んでいた子供達の叫び声は奇獣がでた証拠。近くにいた大人達は傍の子供を避難させる。だが、奇獣に襲われている子供を助けることはできない。
 大人達はヒーローを待つことしかできない。
「奇獣め! 笑顔が光るヒーロー。ルマイスが相手だ!」
 だが、この世界にヒーローは山のようにいる。だから大人達は安心して子供達を外で遊ばせてやれる。もしこの世にヒーローがいないのならば子供は外へでることを許されなかっただろう。
 笑顔が素敵なスーツ姿のヒーローは得意の武器で奇獣を倒す。倒された奇獣は骨も残さず塵と化す。奇獣は死体を残さないため、研究が進まず、どうしてこのような生物が誕生したのか、どうして死ぬと塵と化すのか。その全てが謎につつまれている。
「ありがとう」
「ありがとう。ルマイス!」
 子供達からの賛辞を受け取ったルマイスは華麗に去っていく。こうして人々はまた普通の生活へと戻っていくのだ。
 報酬なんてないヒーロー。正体が明かされることもない彼らを人々は尊敬している。
「ルマイス……。要注意人物っと」
 子供達の輝く瞳とは違い、冷たい刃のような瞳がそこにはあった。


「キャァァァァァ!」
 襲われるのは女子供が圧倒的に多い。奇獣には言葉を理解するほどの知能はないとされているが、何を狙えば有利かぐらいはわかるようだ。
 今回襲われたのはか弱い女性だった。だが今回もすぐにヒーローがかけつけてくれるに違いないと誰もが思った。
「待て! 奇獣め!」
 そしてヒーローは現れた。まるで子供のころ思い描いたヒーローのような姿で。
 風にたなびく赤いマフラーはヒーローの証。憧れの指抜きグローブ。背中には鶏の刺繍が施されていた。
「この世で最もチキンなヒーロー。リトワニが相手だっ!」
 憧れのヒーローはなんとも情けない口上を述べた上に、足は震えていた。
「……え、大丈夫なの?」
 奇獣に襲われそうになっていた女性が思わず尋ねる。
「は、はいっ! 大丈夫ですっ! 今のうちに逃げてくださいっ!」
 どう見ても大丈夫そうには見えない。恐怖のあまり語尾に力が入っているヒーローなどいるのだろうか。いた。目の前に。
 リトワニは足につけてあるホルダーに手を伸ばし銃を抜いた。だがその手も震えており、狙いが定まっているようには見えない。逃げなければ自分に当たる。そう感じた女性は慌ててその場から離れた。
「良かった……」
 女性が無事に逃げたのを見て安心したリトワニに奇獣の鋭い爪が振り下ろされる。
「うわっ! あ、危ない……」
 紙一重で交わすことができなリトワニは銃を構えた。手は相変わらず震えている。
「――――っ!」
 どうしても引き金を引くことができない。手が震える。目の前には再び爪を構えている奇獣。
「ふざけるなっ!」
 怒号と共に風を切る音がした。そして奇獣の背にダガーが刺さる。
「あ……」
 ダガーは奇獣の心臓を貫いたらしく、奇獣は灰と化した。灰がリトワニの顔にかかる。
「ぼーとしてんじゃねぇよ」
 リトワニより少しだけ背の低い少年が木の上から飛び降りた。
「ごめん……」
「……別に謝ることじゃねーけどな」
 気まずい空気が流れた二人の間に入ったのは一人の女だった。
「はいはい。次行くわよ」
 ふわりとしたショートヘアーの女は二人の手をとり歩き始めた。
「え、まだあるの?」
「当たり前でしょ」
「キチ、お前この世界の状況を理解してるのか?」
 少年がリトワニ言う。キチとはリトワニの本名だ。
「わかってるさ!
 奇獣がたくさんいて、たくさんの人が困ってて、たくさんの人が……死にそうになってる」
「……わかってんなら進め。ためらうな」
「…………わかってる」
 少年はキチに無理を言っているということはわかっていた。何を言ったところで、キチはためらうだろう。そしてそれがキチのいい所なのだ。無理に治す必要はないと思っている。
「ドコール。大丈夫だよ。いざとなったらボクは人の命を優先できる」
 少年に優しくキチは言った。
「わかってる」
 ドゴールは静かに返す。
「……ムーワも、ごめんね?」
「ううん。いいのよ」
 暖かい会話もすぐに終わりを告げる。すぐに戦いが始まるのだから。
「あ、ルイマスって奴だが……おそらく黒だ」
「――そう」
 ドゴールの言葉にキチは悲しそうに目を伏せた。信じたくはないけれど、真実から目を背けてはいけない。真実から目を逸らせば惨劇を生む。
 ムーワはキチの手を離した。
「さあ、行こうか」
 ヒーローの証である赤いマフラーをしっかりとしめる。
 ドコールはムーワの手を振り払った。
「しくじるなよ」
 さきほど使ったダガーを手にドゴールは笑う。
「さあね」
 キチは笑って地面を蹴った。
 キチの靴は特別製。ジャンプや移動速度が通常の十倍になるという優れ物。ヒーローにだけ許された特権とでもいうのだろうか。
「でも、ボクは死なないよ」
「怖いから……。だろ?」
「うん」
 キチは笑って次の地へ向かう。次に奇獣が出る場所は大体把握している。
「……ムーワ。お前、大丈夫なのか?」
「ええ。平気よ」
 ムーワは優しく微笑んだ。



 キチが目的地へついたとほぼ同時に子供の叫び声が聞こえた。
「待てっ! この世で最もチキンなヒーロー。リトワニが相手だっ!」
 いつも通りの情けない口上を述べ、キチは奇獣に立ち向かう。恐れで震えながらも子供達を助けようと。
「うわああっ!」
 だが、奇獣がキチに迫ってくるとキチは本能的に後退してしまう。
 死にたくない。立ち向かいたくない。
「助けてっ!」
 思わず叫ぶ。
「あんたヒーローだろ?!」
 子供が叫ぶ。
「……うん。だから――」
 キチは目に涙を溜めて銃を構えた。
「君達を助けて見せる」
 震えはもう止まっていた。
 ゆっくりと引き金を引くと、銃からは弾丸が発射され、奇獣の耳を打ち抜いた。
「ギュ……ギュエェェ!」
 痛みに子供達を解放した奇獣は耳を抑え暴れ出した。
「キ……じゃなくて、リトワニ! 大丈夫か?!」
「ちょうどよかった! この子達をお願い!」
 キチは腰が抜けている子供達をドコール達に渡し、キチは再び奇獣と向き会った。体は再び震え出している。
「ヒーローの癖に! ヒーローの癖に、俺らをあんな目にあわせやがって!」
 子供の一人が泣き喚いた。
「黙れっ! 奇獣がこっちにきたらどうするんだ!」
 ドコールが子供の口を抑える。
 平均より背の低いドコールと、か弱いムーワでは腰の抜けた子供達をあまり遠くへ運べない。だからキチに奇獣を倒してもらうしかないのだ。
「ダガーもこの距離じゃ……!」
 安全といえるほど距離はなく、援護攻撃をおこなえるほど近くない。なんともじれったい距離にドコールは舌打ちをした。
「ねえ、君達」
 興奮している子供と、怯えている子供にムーワは優しく話しかけた。
「彼はたくさんの恐怖を持っている。
 人を傷つける恐怖。自分が死ぬ恐怖。未知への恐怖。そして、誰も守れない恐怖――」
 人一倍怖がりなキチはいつも恐怖を感じている。自分が傷つくのは嫌だが、誰かが傷つくのも嫌だというのは贅沢なのだろうか。
「あいつを馬鹿にするなよ。あいつは怖いのに立ち向かってる。ああして立っていられる」
 ドコールは今の震えながらも奇獣と対峙しているキチを見ていた。
 もしもここに誰もいないのならばキチは逃げるだろう。だがここには人がいる。守らなければならない。
「ぐっ!」
 ガタガタ震えている体でまともに戦えるわけもなく、キチはあっさりと奇獣に吹っ飛ばされてしまう。
「来るぞ!」
 ドコールはダガーを構えるが、今目の前にいる奇獣には聞かないだろうと思った。何せ、奇獣の心臓は背骨の後ろにあるのだ。背後からでないと倒せない。
「に、逃げて……!」
「無理だ! こいつら腰が抜けてやがる!」
 守れない。そんなのは嫌だ。大切な人が傷つくのは怖い。
「――――っ!」
「う、あああぁぁぁぁぁぁ!!」
 覚悟を決め、歯を食いしばったドゴールの耳に響いたのはキチの叫びだった。
 奇獣の爪とドゴール達の間にはキチがいた。さきほどの場所から全速力できたのだろう。
「お前……肋骨がいっちまってるだろ」
「う、ん……」
 それでもキチは引かない。
「あ、ああ…………」
 子供達はキチの柔らかい皮膚が奇獣の爪によって赤く染まっているのを見て震えた。子供達を支配する感情は間違いなく恐怖。死への恐怖。
「怖いのは当然だよ! でも、だからって止まってちゃダメだ! 立って逃げるんだ!」
 未だに震えているキチが子供達を怒鳴りつけた。
「怖いと思うのは恥ずかしいことじゃない! 防衛本能だ! 当然のことなんだ!」
 だから逃げてとキチは言う。ドゴールがとっさにつかった匂い玉のおかげで奇獣はおとなしくしているが、そろそろ効力も消えてくるだろう。それまでに子供達がここから離れてくれなければ一方的にやられることしかできなくなる。
「う、うん……。でも……」
 キチの気迫に押され、子供達は頷いたが体はそう簡単に言うことを聞かない。
「早くっ!」
「無理を言うものじゃないよ」
 苦痛の声をあげたキチに囁く声。
「ルイマス!」
「笑顔が光るヒーロー。ルマイス参上!」
 光る笑顔を見せ、ルマイスは奇獣を一撃で倒した。
「大丈夫かい? 臆病なヒーロー」
「……はい」
 皮の手袋をした手を差し出してくるルマイスの手をキチは握らなかった。
「おや? 私とは握手できませんか?」
 苦笑するルマイスを見て、子供達は握手しろとキチに言う。
 キチもできることならばルマイスと握手をしたかった。だが、それはできない相談だった。
「うちのヒーローを奇獣にしないでくれるか?」
 ドコールが静かにルマイスの背後に回り、ダガーを突きつけていた。
「……なんの、ことかな?」
 笑顔を絶やさないルマイスの背にダガーがわずかに食い込む。
「君達は、聞いてはいけないよ?」
 キチは優しく微笑み、子供達を薬で眠らせた。
 これからの話は誰にも聞かせることはできない。聞いてもなに一ついいことはないし、聞くことによってどんな目にあるのか想像もできない。
「俺らは知ってるんだぜ? 奇獣がどうやって生まれてきてるのか」
「…………詳しく聞きたいね」
 ドコールの言葉にルマイスは飄々と返してくる。喰えないヤローだと思いつつも、ドコールは言葉を紡いだ。
「奇獣は……元々は人間だ」
「ほお? それで?」
「薬によって徐々に体中の細胞が変化し、人間とは思えない姿になり、脚力や筋力が強化される。
 だが、その反動で脳内細胞の理性を司る部分は死滅し、感情を司る部分は異常をきたし憎しみだけに支配される。よって、奇獣は本能のままに人を襲う」
 つらつらと並べる真実は世界中の誰も知らないこと。だが、世の中の確信に基づくことだった。
「よく調べたものだ……。どこからそんな情報を?」
「否定、しないんですね」
 ムーワが悲しげに言う。できることならば否定して欲しいと思っていた。ヒーローが人を襲う生物を作りだしていたなどとは信じたくない。
「潔いのでね」
 光る笑顔が汚らわしく見えた。
「……ボクの父は、ボクの前で奇獣にされました」
「私は奇獣にされかけました」
「オレは奇獣の研究をしていた父に襲われた」
 三人は過去をさらけ出した。恥じるべき過去ではない。悲しむべき過去ではない。今に通じる過去。
「面白いチームだね。君達を研究所に招待したいよ」
「遠慮させてもらいます」
 はっきりと断る。
「あんた達の本部はどこだ?」
「答えるとでも?」
「思ってないさ」
「だろうね」
「…………バイバイ」
 目を閉じ、ドコールはダガーを持っていた手とは逆の手で小刀を持ち、ルマイスを刺した。
 人間の暖かい血が流れ落ちる。
「…………死、んだ」
 キチが呟く。
 今、一人のヒーローが死んだ。真っ赤な血を流して。
「怖い……よ……」
 死は怖い。自分に降りかかるときも、他人に降りかかるときも同じように恐ろしい。
「その手袋は燃やしておくわね」
「悪いな。お前ばかり……」
「いいの。私の中には抗体があるから」
 ムーワはおそらく、奇獣になる薬を受けながらも生き残った唯一の人間。おかげで今回のように皮膚に塗るタイプの薬の処理もできるが、悲しき代償もあった。
「次の予言は?」
「この周辺では明日になるわ」
「そう……」
 奇獣に関する未来だけ視ることができる力をムーワは手に入れていた。
 誰がいつ奇獣になるか、薬を持つ者がどこへ現れるか。そして、奇獣が、薬を持つ人物の死に様まで視える。
「怖いときは言ってね」
「……大丈夫。
 だって、あなたが私の分も怯えてくれてるもの」
 世界で最もチキンなヒーローは今日も恐怖と戦う。


END