気候は温暖。動植物の種類も多く、魔物も多い。それゆえに、名を上げようとする冒険者が多く、彼らのための法も作られている。それが山ノ国だ。その中でも、王都に近く、栄えている街がある。
 街の中、西区と呼ばれている場所で一人の女が喜びの声を上げた。
「やった! これで私も勇者! 冒険者として認められた!」
 彼女の手には合格通知と書かれた紙が握られている。
 赤い鉢巻と赤い皮の鎧に身を包んだ彼女は、小町という名前だ。つい先日受けた冒険者試験で見事、勇者の称号を手に入れた。勇者は戦士のランク二。心が清く優しい者、もしくは光属性を持った者に与えられる分類だ。
「よし。じゃあさっそく……」
 小町は軽く地面を蹴り上げる。
「仕事貰っちゃうんだから!」
 拳を高々と掲げる。向かうのは中央区にあるギルドだ。
 ギルドでは国から正式に分類を与えられた者を中心として、様々な人間からの依頼を受けることができる。ギルドで仕事を貰えるようになれば、一先ずは冒険者として認めてもらうことができる。
 しかし、現実とは時として無常なものでもある。
「……え?」
 小町は眉を下げて目の前にいる男を見つめる。彼はギルドの受付係だ。
「もちろん、あなたは正式な分類を持っています。しかし、まだお若く女性である。
 あなた一人では心もとないといいますか、依頼人の方も不安になってしまうのですよ」
 男もこのようなことは言いたくないのだろう。しかし、それが彼の仕事でもあるのだ。小町は黙って拳を握った。
 幼いころから鍛錬を積んできたつもりだ。熟練の冒険者ほどとまではいかないが、そこいらの男よりは強い自信がある。依頼をこなす自信だって同様だ。だが、周りの目は違っていた。年若い女というだけで、小町は脆弱な存在になりさがってしまう。
 悔しさが溢れ、涙を零しそうになる。だが、ここで涙を零せば周りの目を肯定してしまうことになる。
「……一人じゃなければいいんですか」
「そうですね。パーティとなれば依頼人の方も多少は安心してくださると思います」
「わかりました」
 小町は男に背を向ける。
 ギルドの扉を開けて外へ出る。
 悲しんでいる暇などないのだ。小町は顔を上げて足を動かす。次に目指すのは酒場だ。
「あそこなら一人くらい、仲間になってくれる人がいるかも」
 酒場はただ酒を飲むためだけの場所ではない。非正規ギルドとしての役割を持っている。
 正式なギルドとは違い、危険度が高かったり、依頼の信用性などが低くはあるが家の掃除から盗みまで幅広い依頼を持っている。さらに言うのならば、ギルドと比べると依頼提供料が少ないので、小遣い稼ぎには丁度いい。
 冒険者の中でも、ギルドには登録せずに酒場を中心としている者もいるほどだ。
 ガラの悪い者も多いので、今まではあまり近づかずにいたが、こうなってしまってはワガママを言っていられない。
 酒場の扉に手を添える。心臓が鳴っているのがわかった。
「……よし」
 一つ深呼吸をしてから扉を開く。
 途端に、喧騒が小町の耳に侵入してくる。
「うわ……。これが酒場、なんだ」
 目を丸くする。酒場の中は男も女も、大人も子供も一緒になって騒いでいる。まだ昼間だというのに酒を飲んでいる者も多い。
 呆然としていると、隣から声がかかった。
「おい、あんた小町だろ? 仲間探しかい?」
「え、どうしてそれを?」
 声をかけてきたのは中年の男だ。身軽な格好をしたその男はケラケラと笑っている。見れば、手には酒瓶を持っていた。
「盗賊のネットワークってやつさ。すげぇだろ?」
 小町は何度も頷いた。ギルドで登録を断られ、すぐに酒場に向かったはずだというのに、もう情報が回っているのだ。盗賊の情報網は並みではないと聞いていたが、これほどのものとは驚きだ。
「ちなみに、オレはダメだぞー。オレはここ専属。ギルドに登録するつもりはないからな」
「そう、ですか」
 あからさまに肩を落とす。
 男はそんな様子を見て、また大きく笑った。
「ここには色んな奴がいるし、話を聞くだけでも参考になるぞ。
 ギルドに登録するまでの間、ここで生活費を稼ぐってのもありだしな」
「……考えておきます」
 簡単に諦めることができるはずがない。小町は他の人にも声をかけるべく、足を一歩踏み出した。その時だ。ギルドの扉が勢いよく開いた。ただの押し戸だというのに、勢いのつきすぎた扉は大きな音を立てた。
 喧騒は一瞬静まり、ほとんどの人が扉の方を見た。その中には小町もいた。
「……壊し屋だ」
 誰かが呟くと、酒場の中は再び騒がしくなる。
「あの人が壊し屋?」
 その呼び名は小町も知っていた。非正規の魔術師であるその女は全てを壊すと恐れられ、いつの間にか壊し屋という通り名がついていた。
 小町の横を通り、真っ直ぐにカウンターへ足を進めていくその女の瞳は炎のように赤い。だが、細められた目は冷たさを帯びていた。
「いやー。珍しいもんが見れたな」
 盗賊の男の言葉に小町は小さく頷く。壊し屋と言えば、東区から出てこないことで有名だ。さらに言うならば、家からも滅多なことでは出てこないらしく、彼女を見れればある意味幸運であるとまで言われているのだ。
 小町はふらりと足を進めた。
「うちの扉を壊さないでくれよ? 壊し屋さん」
「その呼び方は止めてって言ったでしょ。ぶち壊すよ」
 少し近づくと、マスターと壊し屋の声が聞こえた。
「っていうか、あんたが東区の酒場に取りにこないから、あたしがここまでくるハメになったんだからね」
 苛立った声色に、マスターが申し訳なさそうに頭を掻く。どうやら、彼女はマスターに何かを届けにきたようだ。
「はい。これが依頼の品」
 そう言って袋をテーブルに置く。
「おお。すまないね」
「そう思うなら次は取りにきてよね。じゃ」
 冷たい目をした壊し屋はすぐに背を向けて歩きだす。彼女の進んだ先にいたのは小町だった。
「……何?」
「あ、いえ……」
 小町は素直に道を譲る。壊し屋の女に興味を持って近づいたものの、あの冷たい目には耐えられない。
 壊し屋が小町の隣を通った瞬間だった。これは不運な事故としか言えないだろう。
「冷たっ!」
 小町の足に酒がかかり、思わず前へ足を踏み出してしまった。そこには壊し屋がいる。予期せぬ衝撃に、彼女は近くにあったテーブルに手をつくが、比重を狂わされたテーブルは上に乗っていた皿を撒き散らしながら舞い上がる。
 このままではテーブルの下敷きになるだろう。そう判断した壊し屋はとっさに、手を上へ突き出した。
「……あ」
 勢いよく突き上げられたテーブルは宙を舞う。その行く末を全員が見守る。
 テーブルは天井にまで届き、再び落下を始める。同時に、誰かが嫌な音を聞いた。
「危ない!」
 誰が叫んだのかはわからなかったが、誰もが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。残ったのは壊し屋と小町だけだ。二人は重力に従い落下してきたテーブルを避ける。そして、その瞬間を目にした。
 天井が破れた。
 木材が降り注ぎ、青い大空が見えた。
 小町はいい天気だとぼんやりと考える。落ちてくる木材はやけにゆっくりと見えたが、避けられるとは思えなかった。横目で見た壊し屋も似たようなことを考えていたのだろう。その場から逃げようともしない。
 このままだと、痛い思いをする。そんな簡単なことに思い当たったとき、視界が暗くなった。
「おい! 大丈夫か?」
 酒場の者達が口々に声を上げ、木材を取り払う。真下にいた二人の女を捜索する。
「……痛い」
 始めに見つかったのは小町だった。かすり傷がいくつかできていたものの、大きな怪我はなかった。
「ちょっと! 重いってば! さっさと降りなさいよ!」
「無茶言うな。オレだって動けねぇんだよ」
 木屑を払いながら立ち上がると、近くから声が聞こえてきた。屈強な男達が木材を放り投げ、声の主を探す。しかし、小町は首を傾げる。
 あの瞬間、近くにいたのは壊し屋の女ただ一人だったはず。だというのに、聞こえてくる声は二つ。しかも一つは男の声だ。
「とんでもねぇ目にあった……」
「それはこっちの台詞」
 ようやく助け出されたのはやはり二人の人間だった。
 一人は先ほどから目にしている壊し屋。もう一人は淡いオレンジのスカーフを巻いた青年だ。彼の方は見覚えがない。
「おいおい。お前、大空じゃねーの?」
 誰かが声を出すと、青年はだったら何だと眉間にしわを寄せる。
「こりゃ珍しい。壊し屋に無風の空が並ぶなんざあ、早々ないことだぞ」
 無風の空。それはここ数年で名を上げてきた盗賊だ。彼は盗みの痕跡を残さず、宝の持ち主も己の宝が消えたと気づくのに数日を要すると言われている。彼は職業柄、人前に姿を見せるということが少ない。
「あんたさ、女の上に乗っかっていて何か言うことはないの?」
 壊し屋が大空を指差す。
「……お前こそ何か言うことがあるんじゃねぇの」
「はぁ?」
 二人の間に火花が散る。
「東区に住む魔術師、椿。馬鹿力で何でも壊す。ついた通り名が壊し屋。
 大方、天井を壊したのもお前なんだろ? オレはのんびりしてただけだってのによ」
 図星だ。小町は思わず頷いてしまう。
「わざとじゃない」
「わざとじゃなきゃ許されるのかよ」
「天井を壊したのは申し訳ないと思ってるわ。だから後でちゃんと弁償する。
 でも、それとこれとは話が別。あんたには一言、謝ってもらうわ」
 椿の言葉を合図としたのか、二人は各々の得物を手にする。
「闇に蠢く哀れな腕よ、彼者を引きずりこめ。闇の触腕!」
 詠唱と同時に、椿の足元から黒い腕が伸びる。それらは大空を捉えようと手を伸ばすが、身軽な彼はそれをあっさりとかわす。それだけでなく、隠し持っていた短剣を投げ、椿を狙う。
 椿は喚びだした腕を使い、短剣から身を守る。
「おい! 誰か二人を止めろ!」
「馬鹿。こんなもん滅多に見られねぇぞ」
「そういう問題か?」
「っつーか、オレにはあの二人を止めるなんて無理」
 周囲はすっかり諦めモードだ。時が経てば経つほど酒場は破壊されていく。主に椿によって。
「もー! 二人とも止めなさい!」
 小町が怒鳴り声を上げる。
「うるさい!」
「関係ない奴は引っ込んでろ」
 椿の召喚した炎と、大空の短剣が同時に小町に放たれる。
 当然、小町もそれを黙って受けたりはしない。二つの攻撃を最小限の動きで避ける。だが、二つの攻撃を直撃したものもあった。
「燃えてる! 燃えてるって!」
「え?」
 ギャラリーからの声に、小町は長い鉢巻の端を見る。
「うっそ!」
 赤い鉢巻はナイフによって破かれ、炎によって今も燃えている。
「水! 誰か水持って来い!」
「ほれ!」
「馬鹿! そりゃ酒だ! 大参事になるぞ!」
「っと、これでどうだ!」
 誰かがコップの水を小町にかけると、鉢巻についていた炎は消えた。
 椿と大空は騒動を呆然と見ていた。
「…………私の、鉢巻」
 鉢巻を解き、ポツリと言葉を零す。心なしかその声は震えており、今にも泣き出しそうだ。
「悪い」
「ごめんね」
 小町を挟むように椿と大空が立つ。流石に、今回のことは自分達に非があると認めざるをえない。
「別にいいよ……」
「なら泣くなよ」
「ほら、何だったら新しいの買おう。ね?」
「これは私の尊敬する人から貰ったものなの」
「うわ。マジかよ……」
 金で代えられないものほど厄介なものはない。椿と大空は顔を見合わせる。
「椿、大空」
 どうするべきか悩んでいると、二人に救いの手が差し伸べられる。
「マスター」
 救いの主はこの哀れな酒場のマスターだ。腕を組み、三人の顔をじっと見る。
「お前らその子とパーティを組め」
 救いの手だと思ったそれは、あっけなく霧散してしまった。目を丸くしたのは椿と大空だけでなく、小町も同じように驚いていた。
「お嬢さん、キミは仲間を探しにきたんだろ?」
「え、ええ。そうですけど……」
 小町は涙を忘れ、おずおずと答える。マスターは笑みを浮かべた。
「なら、彼らなんてどうだろう。
 癖のある奴らだけど、実力は申し分ないはずだ」
 有無を言わせぬ笑みに、待ったをかけたのは椿だ。
「ちょっと! あたしは嫌よ。
 悪いことをしたとは思うけど、今の生活を捨てるつもりはないの」
「オレもだな。大体から、こんな目立つ奴らと組んでたら、盗める物も盗めなくなる」
「……お嬢さんはどうかな?」
 マスターの優しい目が小町を見つめる。
 小町は左右にいる二人の姿を目に映した。どちらも癖があるという問題ではない。普通に考えるのならば、この二人だけはありえないだろう。だというのに、何故か手が伸びた。
「よろしくね。二人とも」
 伸びた腕は、左右にいた二人の腕をしっかりと掴んだ。
「嘘、でしょ……」
「おいおい。勘弁してくれよ」
 顔を引きつらせている二人。対照的に小町は満面の笑みだ。
「決定だな。
 一先ず、ギルドに登録しないでうちの依頼を引き受けて、三人で仕事をしてみな。
 一緒に仕事をして始めて相性がわかるってもんだ」
「そんなことしなくたって、合わないわよ。特に、大空とはね」
「それに関しては同意だな」
 早々から険悪な二人に、マスターは追い討ちとも言える言葉を放つ。
「大空よ。お前もここ四年かけて積み上げてきた仕事場を捨てるつもりはないだろ?
 椿はそろそろまともに働け。東区の女将さんが心配してたぞ」
 この言葉は彼らに多大なるダメージを与えた。伊達に酒場を経営していないということなのだろう。ここの街に住む者の痛い所をよく知っていた。
「……わかったよ」
「よろしく」
 嫌々という感情は隠されていなかったが、二人はマスターの言葉を承諾した。
「よろしく。椿、大空!
 私は小町。ランク二の戦士で勇者よ」
「はいはい。オレは大空。知ってると思うが盗賊だ」
「あたしは椿。魔術師よ。壊し屋って言ったらぶち壊すからよろしく」
 この、とんでもないパーティの結成を目の当たりにしていた者達は、これは夢なのだろうと思った。


 misson 2