太陽が姿を見せ始めた頃に、三人は山を降りた。誰も夜のことについては触れなかったが、何かを吐き出すことができたのか、昨夜までよりも穏やかな雰囲気になっていた。
 交代で見張りをしていたこともあり、その日はそれぞれ自宅へ帰ることとなった。彼らの表情は離れられたことの安堵を浮かべているのではなく、ようやくゆっくりすることができるというものだった。
 疲れきった上に、どことなくスッキリとしたような表情を浮かべた椿を見ることなど中々ないことだ。彼女が帰るまでの道中、何人かの魔術師が目を見張っていた。ちなみに、大空にも同じことがいえたのだが、姿を隠しながら自宅へ帰った彼の表情を目にすることができた者はいなかった。
 自宅にたどりついた彼らは、そこでようやく次の仕事について話し合っていなかったことを思い出す。いつもならば、明日、三日後。ギルドの前に集合。と、ある程度の予定を決めていた。
 小町は冷汗が噴出すのを感じた。
 あの大空が、あの椿が、これを機に姿を隠すところなど、容易に想像がついてしまう。何せ、小町は二人の自宅がどこにあるのか知らない。連絡を取る手段もない。
「あー。失敗したなぁ」
 野宿で疲れた体をストレッチで伸ばしながら肩を落とす。
 山を降りたときの雰囲気こそ良かったものの、昨夜は椿の見てはいけないものを見てしまった。大空に啖呵を切ってしまった。考えれば考えるほど、最悪の結果しか思い浮かばない。
「うぅ……」
 悩んでいても仕方がないのだが、気にしないでおこうというには、この問題は重すぎる。
 結局、小町は明日、ギルドの前へ行ってみようと決意することしかできなかった。
「――え?」
「何よその顔」
「一日休んだからって、気が抜けすぎだろ」
 翌日の朝、重い足取りでギルドの前へきた小町は、信じられない光景を目の当たりにした。
「えっと……」
「何? 今日も休む?」
「ううん! 依頼を貰いに行こ!」
 来ているはずがないと思っていた二人が、ギルドの前にいた。
 不自然な距離感もなく、自然な距離感で、いつも通り顔をあわせないような形で小町を待っていた。
 期待はしていたが、現実に起こったとなると驚くのは無理がない。思わず呆然としてしまったが、椿に促されてギルドの中へ入っていく。心なしか小町の足取りが軽くなり、ステップでも踏みそうになっていることには誰も気づかなかった。
「おはようございます。今日もパーティでの依頼でよろしいですか?」
 受付にいた成華はふわりと笑って依頼を提示する準備をする。今日も。と、言われたことが小町の気持ちをまた一つ高める。いつもパーティとして仕事をしていると、第三者からも認識されているのが嬉しかった。
 頬を緩めながら頷いた小町に、成華はいくつかの依頼を出してくれた。今までと変わらないラインナップではあるが、一つ一つに大空と目を通していく。
「魔物退治とアイテム採取。どっちがいい?」
 大空の方を向いて尋ねる。椿の方にも少しばかり目を向けたが、どれでもいいというような顔をしていたのですぐに視線を外した。
「採取でいいんじゃね? 黄金ヶ丘なら近いし」
「そうだね。じゃあコレ、お願いします」
「はい。それでは、頑張ってください」
 手続きを済ませると、成華はそこそこの大きさをした袋を手渡す。どうやら、袋いっぱいに採取してこいということらしい。
 それを受け取った小町は、成華に手を振ってギルドを出た。その後に椿と大空が続く。
「何を探すの?」
「黄金草になってる黄金果だって」
 依頼について椿に説明をしながら、黄金ヶ丘へ向かう。
 街を出て少しすれば、目的の場所に到着する。桜野原と同じく、凶暴な魔物が少ない。面倒事があるとするならば、黄金草は全てに実をつけるわけではないので、黄金果をある程度集めるのには時間がかかる。
「あたしはパーッと魔物を退治したりする方が好きなんだけどね」
「お前はそうだろうな」
「まあまあ。早く探そうよ」
 視線を合わせて目を細め、一触即発の雰囲気を出した二人の間に小町が割り込む。
 二人は少しだけ小町を見た。今までならば、すぐにそっぽを向いて作業を始めていたのだが、二人ともあの日の夜を思い出してしまった。わずかにできた間に気づいたのは、互いだけだった。
 大空と椿は間に気づいた後、また互いを見て、すぐに顔をそらした。意識をしているつもりはなかったが、それでもやはり胸の片隅に残っているものがある。
「とっとと探すぞ」
「そうね」
 二人は真逆の方向に向かって進み、しゃがみこんで黄金草を調べ始める。その様子を見てから、小町も別の場所を探し始めた。
 黄色い黄金草になる黄金果は、橙色に近い黄色をしているために見落としやすい。体力はそれほど使わずにすむが、どうしても目が痛くなる。視力が悪くなりそうだと、大空は自分の名前にもなっている空を見上げ、その青さに心を安らがせる。
「キャア!」
 しゃがみこんでいた三人の耳に、甲高い女性の悲鳴が届いた。
 弾かれるように立ち上がったのは大空で、走りだしたのは小町だった。
「あの馬鹿!」
 何が起こっているのかも把握せずに動くのは、馬鹿のすることだ。大空は思わず声を上げ、彼女の後を追う。小町程度の速さならば、すぐに追いつくことができる。しかし、追いついたときには、もうすでに事件が起こっている場所へたどりついてしまっていた。
 大空はこっそりとため息をついた。
「何してるの!」
「あぁ?!」
 小町が声を出す。
 彼女の目の前には、倒れている女性と数人の男がいる。男達は手に短剣を持っており、女性は見るからにか弱そうな様子だ。普通に考えれば、暴漢に襲われている女性という答えしか導きだされない。
「助けてください!」
 女性が涙を浮かべながら助けを求めてくる。男達はそんな彼女の髪の毛を乱暴に掴んでいた。
「やめなさい!」
 小町が飛び出し、男を剣の柄で突き、女性と男の間に立つ。
「お前は甘いんだよ!」
 大空が叫び、その手からナイフを繰り出す。ナイフの切先は、女性と小町の間。女性が握っていた短剣に命中した。
「え?」
「そいつらはグルだ!」
 護衛もなく、魔物が出るような場所へ出る人間は少ない。それも、か弱い女性を具現化したような服装の女性が、こんな場所にいる方が不自然だ。
「っち!」
 先ほどまで涙を浮かべていた女性は、眉間に深くしわを刻み込んでいた。着ていたスカートを脱ぎ捨て、下に着ていた機動性に富んだ服装へと変わる。呆然とその様子を見ていた小町の後ろには、先ほど柄で突き飛ばした男が迫っている。
「燃え盛る炎よ。球となれ。我が敵となる男を飲み込め。呑焔!」
 赤々とした炎の球体が男の上に出来上がり、大きな口を開けた。
 男が顔を上げ、すぐに後ろへ退こうとしたが、時既に遅し。炎の球は大きな口を開け、男を飲み込んだ。男の悲鳴が聞こえ、すぐに炎は消えたが、火傷を負った男はもう動くことができない。
「椿!」
「ぼーっとしてんなよ!」
 顔を輝かせた小町に、大空が怒鳴り声を上げる。敵はまだ三人いる。
「わかってる」
 真剣な目をした小町が剣を構える。一人の男と女が短剣を手に、小町へ向かっている。大空はナイフを構え、小町の手助けをする態勢に入り、椿は杖をしっかりと握って男達のもとへ駆けだした。
 そんな椿を横目にしていた大空は、もう一人の男が彼らの後ろでナイフを構えていることに気がついた。隙を見てナイフを投げるのならば、こちらもナイフを投げて弾き返してやろうと、男の動きに注意する。
「圧縮、解放、はじけ飛べ。爆破!」
 椿の声が響き、次の瞬間には爆発音がした。爆風で吹き飛んだ黄金草の向こう側で、男がナイフを放ったのを見た。
 爆風に目を細めている彼女達はそのナイフに気づいていない。椿は杖を振りきって無防備であったし、小町は女の方に集中していたので、ナイフに気がついていたとしてもどうにもできないだろう。
 彼女達の隙を埋めるのは、いつも大空だ。彼の手がナイフを投げる。空気を切りいて進むそれは、男が放ったナイフに向かっていた。
「放て電撃!」
 大空のナイフが男のナイフを弾く寸前、男が叫んだ。
 その声に、三人は目を見開く。椿と小町に向かっていた男と女は素早くその身を退ける。
 二人が身を翻すよりも先に、ナイフから激しい電撃が放たれた。ナイフの近くにいた二人は悲鳴を上げ、その場に膝をつく。大空が放ったナイフは電撃によって地面に弾き飛ばされていた。
「魔術師か……?」
 大空が呟く。
 呪文を唱えた男はどうみても魔術師には見えない。しかし、奴が魔術師でないというならば、今の電撃についての説明がつかない。
「どうだ! これが魔装の力よ!」
 下品な笑い声に、椿は眉を寄せる。
「てめぇらみたいなちんけな奴らに、これほど素晴らしい力を使ってやるんだ! 感謝しやがれ!」
 男は右手に刻まれた刺青を主張するようにしながら声を上げる。彼の言葉が終わると、退いていた男と女が再び短剣を構えて二人に襲いかかる。
 電撃を受けていない大空が両手にナイフを持ち、素早く投げる。しかし、ナイフが奴らに届くよりも、奴らが二人に届く方が速い。駆けたとしても、助けることができるのは一人。下手を打てば、大空まで電撃を受けるハメになる可能性も高い。
「ほの、およ。噴射しろ!召喚!」
 椿が痺れる手で杖を襲いくる男に向け、呪文を唱えた。
 一瞬、彼女の持つ杖に嵌められた石が赤く煌き、炎が噴射される。
 まだ魔法を使うことができるとは思っていなかったのか、男も女も一瞬だけ動きを止めた。その間に、大空が放ったナイフが奴らの体に突き刺さる。
「渦巻く炎よ。放たれよ。目指すは彼者の右手。渦焔!」
 隙を逃さず、椿が新たな呪文を唱える。彼女の杖から噴出した炎は、渦を巻きながら刺青をいれた男の右手へと向かって行く。
「うあっ! あっちぃ!」
 炎は男の右手に絡み付き、どれほど手を振ったところで消えようとしない。男の悲鳴に、もう一人の男が手にしている短剣で椿を刺し殺そうとする。だが、それを許すほど大空は甘くない。
 空を切った複数本のナイフが男の腕に突き刺さる。
「魔術師のあたしの前で、魔刺を見せつけるとはいい度胸じゃない」
 何とか痺れが取れたらしい椿が口角を上げて立ち上がる。
「貴様っ!」
 残された女が椿へ切先を向けたが、彼女はすぐに手にしていた短剣を落とすことになる。
「私もいるってこと、忘れないでよね」
 小町の剣が、女の背中を切り裂いていた。致命傷ではないとはいえ、大きな傷を負った女はその場に倒れる。
 その頃になって、ようやく右手の炎が消えた男は腰を落として恐怖に染まった目を椿に向けていた。
「ぶち壊すわよ」
 振り上げられた杖に、男は泡を拭いて後ろへ傾いた。じりじりと自分の腕を燃やされたのがよほどの恐怖となって、奴の心に埋め込まれたらしい。
「最近、捕まえてばっかりの気がするな」
 大空がロープを片手に二人に近づいてくる。
「あんたが何も考えずに行動するからよ」
「でも……。悲鳴が聞こえたら体が勝手に動いちゃうんだもん」
 責められ、小町は眉を下げるが、それで許してもらえるはずもない。
 大空にも同じようにお叱りを受け、小町は反省の色を見せる。
「それにしても、あいつが使った魔法は何だったんだ?」
 四人を縛り終えた大空は、ロープの先を椿に渡しながら尋ねる。先ほどの様子を見る限り、椿はあの魔法について知っているようだった。
「あれは『魔装』よ。
 魔術師じゃない人間がちょっとだけ魔法を使えるようになるもの。ただ、あの刺青……『魔刺』って言うんだけど、アレに傷が入ると、もう魔法は使えない」
 故に、椿は男の刺青を狙った。広範囲攻撃である電撃はやっかいだ。
 椿はロープを引っ張たが、流石に男三人と女一人を引きずるのは難しいらしく、首を横に振ってロープの端を大空に返す。
「ふーん。始めて聞いたな」
 受け取ったロープの端を鞄から取り出した杭に巻きつけ、地面に突き刺しながら言葉を返す。
「知っている人間は限られているでしょうね。お金もかかるし、習得するのも難しいから。
 大体はお金持ちの剣士や、魔法が使いたくてしかたがないおぼっちゃんがすることだもの。
 あの男の魔刺はずいぶんお粗末なものだったから、闇彫師の仕事でしょうね。格安でやってもらったんじゃない?」
 腕のいい彫師のものであったのならば、ただの電撃でももう少し威力があったはずだと椿は言う。また、あの魔刺の様子を見るに、かなりの体力を使うようだったので、使えたとしてももう一度が限度だっただろうとも言った。
「なるほどね。しかし、魔装か……。中々使えそうだな」
 大空が顎に手を当てて言葉を零す。
 金がかかると聞いているので、実行に移すことは難しいと理解しているが、それでも魔装は魅力的だった。
「ねえ、一度街に戻って、あの人達のことを通報しようよ」
 小町達が受けた依頼はまだ達成できていない。しかし、達成してから街に帰っていては、男達も目を覚ますであろうし、女は出血死してしまう可能性が高い。
「あー。オレが街に行ってきて、通報してきてやるから、お前と椿は黄金果を探してろよ」
「それ賛成。あいつらのためにわざわざ街へ帰るのも面倒だわ」
 椿は大空に賛同し、小町も反対する理由はなかったので、大空の意見を肯定した。
 意見がまとまると、一瞬で駆けて行った大空の背中を眺めた後、残された二人は彼が帰ってくるまでの間、黙々と黄金果を集めていた。

 misson 15
――――――
魔法補足
呑焔<どんえん>
渦焔<かえん>