盗賊と一戦を交えた次の日も、当たり前のように小町はギルドの前に立っている。ここ最近はハプニングが多く、仕事をしない日もいくつかあった。魔物との戦闘後、再び戦うことになった疲労などで休んではいられない。
 清々しい空の下で二人を待った。始めは椿と小町が揃うまで姿を見せなかった大空だが、近頃では椿がくる前に姿を見せてくれることもある。少しは心を開いてくれたということなのだろうか。
 小町は口もとが緩むのを自覚しながらも、それを止めることができない。
「気持ち悪い顔してるぞ」
 ため息交じりの声に振り向けば、眉を寄せた大空がいた。
「おはよ」
「オレの言葉は無視かよ」
 大空の毒舌はなかったことにして、小町は笑みを浮かべたまま朝の挨拶をする。
「椿はまだか」
「もうすぐ来るんじゃない?」
 いつも椿が来る方向に視線を向ける。小町に倣って大空もそちらを見た。
 朝は市場帰りの人や、店勤めの人が出勤し始めたりと、人通りが多い。中には小町達と同じように朝一から仕事を得るためにギルドへ足を運んでいる冒険者の姿もある。
「お、来たな」
 朝の人混みの中、茶色の髪が目に入った。
 身長も高い方ではないので、一際目立つというような風貌ではないのだが、一般人とはあからさまに違う服装や、片目を隠した髪型は独特だ。一度目に入れば、彼女が椿だということを認識するのは容易い。
 今日も今日とて鋭い目つきをした椿が二人のもとへ到着する。
「おはよ」
「……おはよう」
 挨拶をした小町に、少し間を空けながらも椿が返す。
「どうかしたの?」
 小町が首を傾げる。
 いつもならば適当にあしらう風ではあるが、すぐに返事をしてくれるのだ。彼女の鋭い視線も、今日は何故だかあちらこちらを彷徨っている。そのせいで、いつもの力強さがその瞳から感じられない。
 わかりやすい異変に大空も軽く首を傾げる。
「悩みごとか? 止めとけよ。似合わないぞ」
「うっさい」
 この反応には大空も目を丸くする。
 椿という女は沸点が低く、簡単に怒りの色を表す。小町とはまた違った単純さを持つ人間だ。そんな彼女が、どこか感情を覆い隠すような声でしか返してこない。あまりにも奇妙な光景に、まさか雨でも降るのではないのだろうかと、大空は真上を見る。
 青い空には白い雲がいくつかあり、太陽がさんさんと地上を照らしている。雨が降りそうな気配は微塵もない。
「……あのさ」
 奇妙な空気の中、当の本人である椿が一歩を踏み出した。不安定な視線がようやく一つに集中する。
 その視線の先には大空がいた。
「ちょっとあんたに用事があるんだけど」
「は? オレ?」
「そうだっつってんでしょう」
 思わず自分を指差した大空に、椿は眉間にしわを作る。ようやく普段の彼女に近づいたというべきか。
 しかし、椿に呼び出されるようなことをした覚えはない。多少の喧嘩はしているが、それはいつものことだ。今さらその件に関して呼び出されても困る。
「待ってよ。どうしたの? 何かあった?」
 二人の間に戸惑いながらも小町が入る。いつも通りの光景ではあるが、その雰囲気は険悪ではないところがいつもと違う。大空もどう対応していいのか迷っているようだ。
「何かって……。
 とりあえず来てくれない?」
 口に出すのが嫌なのか椿は明確な言葉を示さない。
 煮え切らない態度に大空と小町は余計に混乱する。今日は普通に依頼を受けてこなすだけのつもりだったのが、こんなことになるとは想定外にもほどがある。
「じゃあ私も行っていい?」
「いいけど、何にもならないわよ」
 小町の提案を椿は受け入れたが、またしても気になる言葉を出す。
「オレなら何かなるのかよ」
 それが良い方面ならばいいのだが、一概にそうとは言い切れない。椿が騙し討ちをするような人間ではないことくらいわかっているが、それにしても今回の行動は不審すぎる。大空一人で椿の後を追うことがなくなった分、精神的にはマシだという程度だ。
 心なしか背筋を流れる冷汗につられ、大空は無意識のうちに手持ちのナイフに手を触れる。
 そんな大空の心情など知るよしもない椿は踵を返して、こっちへこいと手招きをする。踵を返したということは、向かう先は椿がきていた方向だ。つまりは、魔術師が多く住む区域へ向かうということだ。
「もしかして椿の家に行くの?」
「何でそうなるのよ」
 嬉々として尋ねた小町の言葉をばっさりと切り捨てる。
 椿や大空と仲良くなりたい小町としては、是非とも椿の自宅を訪ねたかった。しかし、よく考えてみれば、椿が大空だけを自宅に呼ぶというのもおかしな話だ。肩を落とした小町はすぐに考え直し、気持ちを切り替えた。
「じゃあ、どこに行くの?」
「来ればわかるわよ」
 どうしても自分の口からは言いたくないらしい。
 残念する小町とは違い、大空は不安げな表情をいっそ暗くする。怖いだとかいう感情よりも、気味が悪く、この先に何が起こるのか予想もつかない不安感だ。
 椿の後について進んでいくと、道の一つ一つが薄暗くなっていった。同じ街にある区画だというのに、小町が住んでいる区画とはまったく違った様子を見せている。建物の造りもそうかわらないはずなのに、不思議なものだ。
 辺りを見回しながら小町は、これが魔術師の住む独特の雰囲気なのかと考える。この辺りになると、大空も興味を惹かれるものがあるのか不安げな表情を消していた。
 情報としてこの区域のことや様子は知っていたが、こうして堂々と道を歩くのは始めてだ。屋根の上からではわからない雰囲気や物がそこらかしこにある。
「こっちよ。はぐれないでよね」
 そう言って椿は細い路地裏に入る。
 ただでさえ暗いこの区域の中の路地裏はさらに暗い。とりつけられた小さな明かりが何とか道を照らしているような状態だ。
「……そろそろ、どこに行くか教えてくれてもいいんじゃない?」
 思わず小町が尋ねる。
 三人がいる場所は、性質の悪い盗賊や悪漢がいたとしてもおかしくない雰囲気だ。
「もうすぐだから」
 相変わらず椿は目的地を告げようとしない。不安げな顔をした小町が後ろにいる大空はちらりと見る。彼は肩をすくめるばかりだ。ここまできてしまったのだ。後は進むしか他に道はない。
 路地裏に入ってから少しして、椿が立ち止まる。どうやら行き止まりのようだ。しかし、そこには一軒の店がある。
「ちょっと、椿?」
 椿は迷いなくその店の扉を開けた。カラン、と扉につけられている鐘が鳴る。
 店としてはそれで正しいのかもしれないが、周りの様子から呼びかけもノックもなしに扉を開けることに不安が残る。しかし、彼女を一人にしてはついてきた意味がない。小町は大空に背を押されながら店に入った。
「忍さん。いる?」
 店の中は明るく、扉の横には観葉植物が置かれている。後はカウンターテーブルと、棚に酒が並べられている。外観と比べると幾分か落ち着いた雰囲気を感じることができた。気になることといえば、まだ奥に部屋があるのか扉があることだ。それはカウンターの内側ではなく、客が入る側にある。また、壁には幾何学的な模様や紋章のようなものまで、様々な柄が描かれた紙が張られている。
「忍さん?」
 椿が再び声を上げる。
 二人は忍という名前に聞き覚えがあった。以前、酒場のマスターがその名前を口にしていた。椿の弱味になるような名前だったと記憶している。
「はーい。今行くわー」
 ようやく返事があった。
 しかし、その声には首を傾げずにはいられない。
 口調は可愛らしい女性のようなものだった。だが、声はハスキーで、大空よりも低いくらいだ。声と言葉が合っていない。
 嫌な予感が二人を駆け抜ける。
 椿の視線の先、奥にあった扉のノブが回る。声の主が現れることに二人が思わず身構える。
「久しぶりね椿」
「そう? この間も会ったじゃない」
 扉の向こうから出てきたのは、どの角度から見ても男だった。
 褐色の肌をし、ピンクの髪をベリーショートにしている男は、上半身に皮ジャンだけを着ている。そのため、鍛え上げられた腹筋や胸板が惜しげもなく晒されることとなっている。
「あら? そっちは?」
 彼が忍なのだろう。赤い口紅と青いアイシャドーをした彼が小町達に気がついた。
「……あたしの、今のパーティメンバー」
 一瞬の沈黙の後、椿が言う。
 彼女の口から出たパーティメンバーという言葉に小町が目を輝かせる。
「つば――」
「あらぁ! あなた達がそうなのね!」
 小町が喜びの声を上げる前に、忍が声高に言った。ついでに両腕を広げ、二人を抱きしめようとしてきた。
「うわっ!」
 掴まったのは小町だった。大空は寸前のところで隣に避けることに成功した。この時ばかりは自分の身軽さに感謝せざるを得なかった。
 抱き締められた小町は目を白黒させる。何が起こっているのかも理解できていない。
「忍さん、小町が驚いてるわよ」
「あら。ごめんなさいね。嬉しくて思わず」
 椿に言われ、忍がその腕から小町を解放する。
「い、いえ……。大丈夫、です」
 見た目通り鍛え上げられている腕に抱き締められ、小町は骨が軋むのを感じていた。思わず大空がいるところまで避難してしまう。
「で、今日は彼女達の紹介をしにきてくれたの?」
「そんなわけないでしょ。仕事の依頼よ」
 椿が大空を指差す。
「あいつに魔刺を彫ってあげて」
「は?」
 指差された大空は驚きの声を上げる。
「魔刺って、この間の盗賊のアレだよね?」
 小町が確認すると椿は頷いた。
「あんた魔刺に興味あったんでしょ? 下手な奴に頼むくらいなら忍さんの方が何十倍も良いわよ。腕はあたしが保障するわ」
 魔術師である椿のお墨付きとなれば、本当に腕はいいのだろう。しかし、現状の説明をするにはそれでは不十分すぎる。
「言葉が足りないにもほどかあるぞ。そもそも、オレはそんな金ないぞ」
 腕がいいならば、それ相応の金額も必要になる。盗賊として腕を振るっている大空だが、日々の生活や武器の手入れもある。最近は三人での依頼ばかりをこなしているので、大口の仕事も入っていない。
 眉をよせている大空を見てから、椿は自分の財布を出した。
「あたしが払うわ。忍さんなら割引も利くし」
「何でお前がそんなことをオレにしてくれるんだよ。熱でもあるのか?」
 怪訝な瞳を椿に向ける。
 彼女と大空は仲が良いわけではない。今でこそ仲間としての距離を持っているが、それも仮初のものだ。大金を出す理由は微塵もない。
「……借りを作るのは嫌だから」
「借り?」
 大空が繰りかえす。
「この間、背中を取られたとき助けてもらったでしょ」
 そっぽを向きながら椿が言った。
 今まで何をしに行くかなどを言わなかったのは気恥ずかしさからのようだ。それにしても似合わない。
「いや、あの程度は今さらだろ。
 オレが普段どんだけ苦労してると思ってるんだ。お前も小町も背中がら空きのこと多いし。借りっていう前に前線に突っ込む癖をなおせよ」
「うるさいわね! あたしが良いって言ってるんだから、素直に受け取りなさいよ!」
「こんなところで喧嘩しないでよ」
 喧嘩を始める二人の間に小町が入る。ギルド前の時とは違い、奇妙な空気もなく、実にいつも通りの風景だ。
「ふふふ。まあ落ち着きなさいよ」
 忍が椿と大空の頭を撫でる。彼の身長は大空よりも少し高い。
「椿には色々お世話にもなってるし、何よりこの子と付き合ってくれてる子だもの。割引は勿論するわ。
 こんな機会は滅多にないんだし、大人しく受けておいた方がお得よ。まあ、安いものじゃないんだし、今までの借りをまとめて返済してもらってると思ってもいいわよ」
「あたしは別に普段から借りを作ってるつもりはないわよ」
「はいはい」
 二人の会話を聞くだけで、彼女達の仲が数ヶ月程度のものではないことがわかる。もう一つ言及すれば、友人というよりは兄妹といった雰囲気だ。
「それで、色はどうする?」
 大空の返事を待たずに忍が尋ねる。
「緑よ。できるだけ青に近い緑がいいわ」
「おい、勝手に話を進めるなよ。あと色も勝手に決めるな」
 苦言を呈した大空に、忍が人差し指を振る。
「魔刺はただの刺青とは違うのよ。色だって、重要な役割があるんだから」
「重要な役割?」
 小町が椿に問いかける。
「色は魔力の色よ。
 炎を扱うなら赤。水なら青。雷なら黄。緑は風よ」
「ならなおさらオレ自身が決めるべきなんじゃないのか」
 大空が不満気に言う。風という選択を不満に思っているわけではないが、自分の意思がそこにないことが気に喰わない。
「魔術師が全ての属性を使えるわけではないように、魔刺も人によって向き不向きがあるの。
 あんたに合ってるのは風よ。それも水の冷たさを含んだ風」
 椿が言うのだから間違いないと忍は続ける。
 忍は魔術師ではないので、その人に合った色を見分けることはできないらしい。そのため、忍のもとに訪れる者は、先に魔術師に自分に合う色を教えてもらってからくるのだそうだ。
「あとは、どんなことをしたいかによって図柄が変わるのよ」
 そう言って忍は壁に張られた紙を指差す。あれらの中から選ぶことになるようだ。
「あなたの得物は?」
「ナイフ」
「風とナイフなら、風の勢いを使ってスピードを上げるもの、ナイフの軌道を変えるもの、ナイフの刀身に風をまとわせて威力を上げるもの。この三つがオススメよ」
 大空は顎に手をあてて考える。使い勝手のよさと、己の力をあわせて最も合っているものを選択しなければならない。
「風を刀身にまとわせる図柄がいい」
 わずかな間、思案して彼は答えを出した。
 軌道に関しては己の力である程度はどうにかなる。スピードを上げることも魅力的ではあったが、結局は一直線の速さだ。実戦で使うには些か不自由が付きまとう。対して、刀身に風をまとわせるだけならば、いざというときの接近戦でも使うことができる。
「わかったわ。なら、この図柄よ」
 忍が一枚の紙を手にする。
 そこには円が描かれていた。シンプルな図柄ではあるが、円の細部にも工夫が凝らされており、一つの芸術作品としても精巧な趣をかもし出している。
「大空、どれでもいいからナイフを二、三本貸して」
 図柄に納得した大空に、椿は手を出してきた。
 しかし、唐突に手を出されても、はいそうですかと差し出すわけにはいかない。ナイフは大空にとって大切な商売道具だ。知りあいとはいえ易々と渡すことなどできない。
 渋る大空を見て、椿は苛立ったような顔を見せる。何とも理不尽なことだ。小町が椿を宥めようと口を開いたが、忍が先に彼女の頭をぽんと叩いた。
「ちゃんと説明しなさいよ」
「……魔装は使う人間と得物に同じ図柄を彫らないといけないから、ナイフにそのための加工をするのよ。
 図柄は忍さんが彫ってくれるけど、無機物に魔刺をするには下準備が必要なのよ」
 魔力について大空や小町は大した知識を持っていない。ならば、彼女が言うことに従うしかできない。
「そういうことなら、ちゃんと言えよな」
 大空は愛用のナイフを二本手渡す。
「じゃあ、忍さんお願いね」
「はいはーい」
 椿が扉に手をかける。忍は笑みを浮かべて片手を振る。
「……余計なことは言わないように」
「わかってるわよ」
 語尾にハートマークをつけながら忍は答える。
 扉につけられている鐘がまた鳴り、椿は店から出て行った。

 misson 17