椿の背中を見送った後、忍は残された二人を部屋の奥へと案内する。
 そこにあったのは仕切りになるカーテンと小さな椅子。カーテンの向こう側には人が一人寝そべることができる程度のベッドが置かれている。そのさらに奥に見えている棚には、いくつもの小瓶がある。よくは見えないが中身は色とりどりの液体のようだ。
「さて。まずはどこに彫るか決めましょうか」
 忍が振り返って尋ねる。
「どこでもいいのか?」
「ええ。場所はどこであっても同じ効果を発揮するわ。
 注文が多いのは首とか左胸ね」
 魔装を施した者は、それを強みにすることが多い。魔刺を傷つけられて魔力の流れを絶たれればその強みは失われる。それを恐れ、自分の命に関わる場所に魔刺を望む者が多いのだという。
 一種の誓いでもあるのだろう。魔装が崩れる時は、己が死ぬときである。そんな思いを胸に持つからこそ、己の急所を重ねる。
「……馬鹿らしい。
 オレはここに彫ってくれ」
 そう言って、大空はシャツを軽くめくり上げる。
 彼が指差したのは左下腹部だ。例え傷つけられたとしても、致命傷になりにくい場所と言える。
「そこでいいの?」
「オレは魔装に頼るつもりはない。ナイフと一緒だ。使える道具ではあるが、道具がなくなったら死ぬなんて勘弁願う。
 いざとなったら武器を捨ててでもオレは生き延びる」
 大空の瞳が強い光を持つ。
 はっきりとした意思に、忍は小さく笑みを浮かべる。
「ならいいわ。じゃあ、そのベッドに横になって」
 棚を開き、一つのビンを手にする。
 中に入っている液体は、青に近い緑だ。おそらく、椿が言っていた色なのだろう。
「小町ちゃんはそこの椅子にでも腰かけておいて」
 現時点で小町にできることは何もない。それどころか、関係のない人間といっても過言ではないだろう。椿がここへ連れてきたかったのは大空だ。忍は仕事をする人間。大空は受ける人間。小町だけがオマケのようにそこにいる。
 示された椅子に座りながらも、小町は落ち着くことができない。
「あ、あの……」
 大空が服を軽くめくり上げた状態でベッドに横になったあたりで声をかける。
「私も忍さんの魔装を受けられますか?」
 思考をこじらせた結果、この言葉が出てきた。彼女はこの場に少しでも関わりたいと願っただけで、大空と同じように魔装を受けようと思ったわけではない。高価な技術であることは聞いているし、椿に自分の分まで負担させるつもりは毛頭ない。
 大空の冷たい視線を感じ、ようやく己が紡いだ言葉の意味を改めて理解する。
「あ、ち、違うんです! いつか、いつかっていう意味なんです!」
 慌てて弁解しようとする小町に、忍は困ったような顔を見せる。
「うーん。小町ちゃんは無理ね」
「そうですよね。ちゃんとお金を貯めてから――」
「ああ、違うの」
 忍が手を振る。
 小町は言葉を止め、大空は怪訝そうな瞳を向ける。
「小町ちゃんは勇者でしょ?」
「はい」
「ということは、光属性よね」
「魔法は使えませんが、そうです」
 忍は魔刺を彫るための道具を準備し始める。
「光属性は特別なの。
 特別だから、魔術師でない人間にでも、光属性だけはハッキリと示されるの」
 例えば。と、忍は大空を見る。
「大空君は風属性が向いている。って、椿が言っていたから風属性。
 でも、普通は風属性の盗賊。とは言わないし、魔装をするのでもなければ属性なんて気にしないでしょ?」
 確かに。と、小町は頷く。現に、大空は椿に言われるまで自分の属性など知らなかっただろう。小町も勇者という職業柄、己の属性を知っているだけであって、それについて何か考えたことはない。属性について考えるのは魔術師やそれに関する職の者だけだという認識がどこかにあった。
 第一、己の属性について知っていたとしても、それを有効活用することができない。
「いくつかある属性の中でも光は特別。何故なら、光属性だけは先天性のものだから」
 大空の下腹部に道具を当てる。わずかな痛みがあるのか、彼は顔を歪めた。見ているだけで痛みが伝わってきそうなので、小町はわざと大空の顔から目をそらす。
「他の属性は五歳くらいまでの性格や環境できまるの。それまでは全ての属性が使える。と、まで言われているわ。
 でもね、光属性だけは違う。先天的な光属性は、その人がどんな性格に育っても変わらないし、他の属性を持たせない」
 皮膚を抉るような音も大空の呻き声も聞こえない。だが、大空には痛みがあるようで、眉間にしわが刻まれている。小町は相変わらず壁を眺めている。忍には大空の表情が見えているはずなのだが、声色には何の変化もない。
「先天的な光属性は後から付加させることができないし、他属性を無理やりつけても消し去っちゃうの。
 だから、光属性の小町ちゃんには魔装できないのよ。ごめんね」
「なるほど。そうだったんですか」
「でも、普通の刺青でよかったら彫ってあげるわよ」
 忍が小町を見てニコリと笑う。手元の道具を見ていなくて大丈夫なのだろうかというのは、小町と大空に共通した思いだったに違いない。
「……ねぇ、小町ちゃん」
「はい?」
 手元に視線を戻した忍が声を出す。その声は先ほどまでの明るい声とは違い、少し沈み込んだ印象を受ける。
「椿と仲良くしてあげてね」
 その言葉は、まるで親のような雰囲気を持っていた。
 唐突な言葉に小町は目を丸くする。彼女からは見えないが、大空は怪訝そうな顔をしていた。
 忍と椿の仲がただの知りあいでないことはわかっている。しかし、それにしても、この言葉は不可解なものを感じずにはいられない。
「普通はね、属性は一つしか持てないの」
 大空が青色、つまりは水属性に近いとはいえ、風属性だけを持っているように。小町が光属性だけを持っているように。
 だが、小町は椿のことを思い出した。彼女の属性は、火と闇だ。
「え、でも……」
「そう、椿は二つの属性を持っている」
 忍はゆっくりと図柄を作り上げながら言葉を紡ぐ。腕は良いと聞いてはいても、不安は残る。体を預けている大空としては手元に集中して欲しい気持ちがあった。その反面、椿の属性についても興味が湧いた。
 いつもは冷静沈着な大空と言えども、盗賊としての好奇心は忘れていない。
「闇属性は、超後天的。と、言っていい属性なの」
 青に近い緑の液体が再び道具に垂らされる。その色が大空の白い肌に乗り、染み込む。少しずつ彫りこまれている図柄ではあるが、まだその全貌は見えてこない。鉛筆で紙に描くのならば、すぐに終わってしまうようなものでも、人の体に彫るとなれば時間のかかりようがまったく違う。
 忍の真剣な瞳は、言葉に向けられているのか、手元に向けられているのかわからない。
「火や風は五歳ごろに固定される。光は生まれたときから持っている。
 闇は、魔術師ならば誰もが目覚める可能性をもった属性なの」
 二人はふと、酒場で絡んできた魔術師のことを思い出した。彼女は、闇属性を持っているような人間と一緒にいることが信じられないと言っていた。それは、忍が辛そうな顔をしていることと何か関係があるのだろう。
 聞いてもいいのか少し迷う。二人がその答えを出す前に、忍が言葉を続けた。
「アレはね、魔術師になることのできる者が絶望したときに目覚める属性なの」
 精神を侵すような絶望に直面したとき、魔術師の素質を持った者は闇を呼び寄せるのだという。絶望が深ければ深いほど、闇の力は強くなる。
「超後天的な闇は他の属性と共存することが容易い。
 ただし、目覚めた人は狂っちゃうことも多いから、魔術師の中でも奇異の目を受けることが多いの」
「……それ、あいつが言ってた『余計なこと』なんじゃないのかよ」
 重たい空気の中、大空が言う。
「いいのよ。もっと知られたくないことを知っている私と、あなた達を一緒にしてるんだもの。
 何だかんだ言って、あなた達になら知られてもいいと思ってるのよ。基本的には人を信用したがる子だから」
 忍は笑う。付き合いの長さから、椿のことをよく知っていることがこの言葉からもわかる。
「だから、仲良くしてあげて」
「勿論です!」
 小町がはっきりと答える。
 元より彼女は椿と仲良くし続ける気でいた。椿が嫌がっても離していない現状を見ればその思いに嘘がないことの証明になっている。
 大空はどこか渋い顔をしていた。それは魔刺を彫るための痛みからくるものではない。表情の種類がまったく違うのだ。彫り師としての仕事をし続けている忍にはそのことがわかったのか、少しだけ困ったような顔を見せる。
「……同情なんかはしないぞ」
「ええ。そっちの方がいいわ。あの子だって、同情を望んでいるわけじゃないはずだから」
 忍は彼の瞳にわずかな憂いを見た。大空の過去については何も知らない。しかし、暗く沈んだ瞳をするに足る何かがあったのだろう。深く追求するのは良い女のすることではないので口を噤む。
 静かになった部屋で忍は黙々と手先を動かした。大空はその動きを見ながら、首に巻かれているスカーフに触れる。寒さを感じた。
「こっちはできたわよ」
 鐘の音が鳴り、椿の声が聞こえてきた。
 返事がくる前に部屋の奥へ進み、大空達のいる部屋に足を踏み込む。
「おかえり。こっちも、もうすぐ終わるわよ」
 椿の手には大空が渡したナイフが握られている。見たところ、特に変わったところは見られない。
 彼女は忍に何か話したかと確認することもなく、大空に掘られる魔刺を黙って眺めていた。こうしたところが、ある程度の秘密ならば知られてもいい。むしろ、知っていてもらいたいのだと、忍に思わせたのだ。
「魔装は使いこなすのに少し時間がかかるわよ」
 手ごろなテーブルにナイフを並べ、椿が言う。
「魔刺は魔力を流動させる手伝いをするだけで、実際に発動させるためにはコツがいるから」
「どうしたらいいんだよ」
 魔術師ではない大空にとって、体内にある魔力を流動させる感覚や、放出する感覚は未知のものだ。どのような方法を用いればいいのかもわからない。そのための訓練も想像がつかない。
 椿は少し口を閉じてから、彫っている最中の魔刺に指を乗せる。
「ここに集中して。そしたら、この図柄が、陣が、魔力を動かしてくれる。まずは魔力が動く感覚を理解して。
 それがわかったら『纏え旋風』の言葉にその魔力を乗せることを意識する。
 上手くいけば勝手に陣同士が繋がって魔法が発動するわ」
 大空は少しだけ図柄に意識を集中してみたが、何も起こらない。また未完成だからか、体内になる魔力の存在に大空が慣れていないからなのかは、現時点では判断がつかない。
「あ、そうだ。椿、棚のシールを取っておいて」
 シールという言葉に、小町は首を傾げたが、椿は黙って棚に手を伸ばす。どこに何があるのかは把握しているようだ。
「この大きさでいい?」
「丁度良いわ。ありがとう」
 取り出したシールをナイフと並べて置く。
 椿は小町の隣に椅子を置き、忍の仕事を眺める。
「あんたも刺青いれるの?」
「え? どうして?」
 質問に質問で返してしまう。それほどまでに椿の問いかけは唐突だった。
「あのシールは、短時間で刺青をいれるものなのよ。まあ、魔刺みたいな力は付加されないけど」
 その言葉に、小町は忍が普通の刺青ならばいれてくれると言っていたのを思い出す。
「あ、でも、自分の分はちゃんと自分で出すから!」
「いいわよ。魔刺と違ってそれほど高くないし」
「と、いうか、あのくらいサービスでやってあげるわよ」
 忍が二人の会話に入ってくる。
「小町ちゃんには赤色が似合うから、椿がいれば問題ないしね」
 弾むような声は楽しげであるが、言葉の意味がいまいち理解できない。助けを求めるように椿を見ると、彼女はため息を一つ零した。説明が面倒なのだろう。
「赤色は火の魔法で人の体に色を移すの。青色なら水の魔法ね。
 あのシールで刺青をいれるときの値段の大半は、魔術師に色を頼むときのものだから。あたしがいれば問題ないわね」
 図柄は忍が描いてくれることになるようだ。
 小町は申し訳ない思いもあったが、それ以上に楽しみだった。椿も大空も体に刺青が入ることになる。ただ一人、小町だけが仲間はずれのような気がしてしまっていたのだ。
 おそろい。と、いう言葉が頭の中に浮かび、頬が緩む。
「はい。できたわよ」
 忍の言葉に小町が目を向けると、大空はすでに魔刺を服で隠していた。すっかりいつも通りの大空だ。
「どうしても感覚が掴めなかったら言って。あたしが直々に教えてあげないでもないから」
「絶対に言わないことにした」
 二人の視線が弾け合う。それを横目に忍はシールに何かを描いている。
 さらさらと動く鉛筆は魔法のようだ。
「椿、これお願い」
 魔刺を彫る時間よりもずっと早く図柄を描きあげた忍はシールを椿に手渡す。
 小町が図柄を見ようと近づくと、理由を察したのか椿がシールを見せてくれた。
 そこに描かれていたのは、ハートを逆さまにしたような図柄だった。描かれている線は黒だが、これが赤になったところを想像すると、可愛さを感じる。
「でも、どうして逆のハートなんですか?」
 ハートという柄はわかる。女の子には似合いの柄だろう。しかし、それを逆にする理由はわからない。
「あなたの肩にいれて欲しいの。
 そしたら、あなたから見たらハートに見えるでしょ?」
 忍は小町に近づき、彼女の鼻を軽く人差し指で押す。
「優しいあなたに、周りが愛を向けてくれますように」
 細められた目の奥は優しい色ばかりだ。忍が普通の男だったならば、小町は間違いなく心を射とめられていただろう。不覚にも一度、心臓が高鳴ったことを小町は自覚していた。
 身長も高く、化粧で誤魔化されているが顔も男前といって差し支えのないものだ。本当に普通の男ならば数々の女性を魅了したに違いない。
「じゃあ肩を出して」
 椿に促され、上着を脱ごうと服に手をかける。
「お前は馬鹿か。オレが出るまで待てよ」
 見れば呆れたような顔をしている大空と目があう。大空のことを忘れていたわけではないが、彼の前で上半身を露出することのマズさを忘れていた。小町は途端に顔を赤くして大空と忍を部屋の外に押し出す。忍は不服そうな顔をしていたが、致しかたないだろう。
「じゃあ、改めて」
 小町は服を脱いで肩を露出する。左右のどちらがいい。と、いう椿の質問に左と答える。
 椿は小町の左肩にシールを当て、呪文を唱える。一瞬の熱さに目を瞑り、ゆっくりと目蓋を押し上げると、彼女の左肩にはあの図柄があった。色は鮮やかな赤色。
「綺麗……」
 思わず呟く。
 椿は手に残っていたシールの残骸をゴミ箱に捨て、小町に服を着るように促した。

 misson 18