届け物をした次の日、三人は当然のように酒場へやってきた。マスターの顔を見るなり、昨日の品物についての文句を言うことも忘れない。マスターの方も文句を言われることは想定済みだったようで、軽く笑って流された。
「……で、次の依頼は?」
 ふくれっ面で小町が尋ねる。
「その前に、一つ聞いておきたいことがある」
「何だ?」
 三人は顔を見合わせてから首を傾げる。尋ねられることについては心当たりがない。
「とりあえず二つの仕事を一緒にしたわけだが、これからもずっとここで依頼を受けるつもりはないんだろ?」
「当然でしょ」
 このことに関しては三人の意見は同じだった。
「なら、パーティを組んでギルドに登録する気はあるのか」
「もちろん」
 即答したのは小町だけだった。二人の答えがないことに、小町は少しばかり悲しそうに眼を向けた。
 悩んでいる様子はない。そこにいたのはいつも通りの二人だ。ただ、口を開くことなくじっと沈黙を守っている。騒がしい酒場の中で、三人がいるところだけが妙に浮いているように感じた。
「お前達は?」
 マスターの言葉に答えたのは大空だった。
「そうだな。こうやって知り合ったのも何かの縁だ」
 淡々と紡がれる言葉に、小町は固唾を飲む。まだ、嫌だとは言われていない。希望は消えてはいないはずだ。
「登録のために名前を貸してやるくらいなら、別にいいぜ」
 一瞬、小町の時間が止まる。
「ああ、それいいね。じゃああたしも」
 続けられた椿の言葉に、小町は慌てて口を挟む。
 確かに、この二人の名前を借りるということは大きな効果を持つだろう。何せ、この町では有名人なのだ。けれど、小町は名前が欲しいわけではない。仲間が欲しいのだ。
「そんなのダメ!」
「でも、小町は元々一人でギルドに登録するつもりだったんでしょ?」
「どうしてもお前一人じゃできない仕事だったら、特別価格で手伝ってやるよ」
 二人の言葉に小町は首を横に振る。
 初めは一人で仕事をしていくつもりだった。しかし、たった二回とはいえ椿や大空と仕事をして考えが変わった。誰かと共にいるというのは、それだけで心強い。そして、楽しいのだ。
 今さら一人で、などとは考えられない。
「……予想はしていたが、やはりか」
 マスターの深いため息が聞こえた。
「大空のことをあいつから聞いて、もしかすると何て思ったんだがな」
「あんなところで死なれたら夢見が悪いだけだ」
 冷たい言葉が小町の胸に突き刺さる。
 まだお互いのことをよく知っているとも思わないし、仲間と胸を張って言えるような間柄ではないことはわかっている。だが、小町はその短い時間の間に二人への友愛の気持ちを持っていた。
「どうしても、ダメなの?」
「……ま、できれば勘弁して欲しいわね」
「金さえくれれば手伝ってやるって」
 二人の答えは変わらない。
 小町はうなだれる。この二人を仲間にするということは、勇者になることよりもずっと難しい。
「そうか。なら、これが最後の依頼だ」
「最後……」
 小さく呟いた。横目で見れば、二人はようやく解放されるのかという表情をしていた。対する小町は気が重い。泣いても笑っても、この依頼が終われば二人とは他人になるのだ。
 今までと同じように、町ですれ違うこともない間柄になってしまうのだろう。
「小町」
 大空が小町の肩を叩いた。
「最後は笑うんじゃなかったのか?」
「……わかってるくせに」
「大空が意地悪してるー」
「うるせぇ」
 本当に今までと同じ調子の二人に、気持ちがまた少し落ち込む。彼らにとって、小町という存在はその程度のことだったのだろう。
「で、依頼って何なの」
「ギルドで多い仕事は三つ。
 魔物退治と届け物、そして護衛だ」
「……護衛か」
 大空が唸るように言った。
 今回の仕事が難しいことは他の二人にもわかった。護衛はただ戦えばいいというわけではない。依頼人や、その人の荷物なども守らなければならない。そのための傷ならば喜んで受ける必要があるのだ。
「詳しいことはここに書いてある」
 手渡された紙には明日の朝に南門にて待つとだけ書かれている。そこに依頼人についての情報も、どこまでの護衛になるのかも書かれていない。
 怪しすぎる内容に、三人は一様にマスターを睨みつけた。ここ数日で彼の信頼度は地にまで落ちているのだ。
「最後の仕事だ。しっかりやってこいよ」
 そう言われ、椿と大空はしかたないと息を吐く。
「なら、明日の朝……予定より少し早めに集合だな」
「あたし早起きは苦手」
「起こしに行ってあげようか?」
「家知らないだろ」
 三人はそんな会話をしながら酒場を出る。彼らの後ろ姿を見送っていたマスターは悲しげな顔をした。
「どうしたんだ、マスター」
 近くにいた無骨な男が声をかける。仄かに赤い頬はアルコールが入っているからだろう。
「いやな。あいつらなら、いいパーティになれただろうと思ってな」
「ああ、新米勇者と壊し屋と無風だったか?」
「意外と息が合っててな、見ていて面白いぞ」
「ほー。そりゃ、先が楽しみだな」
 笑う酔っ払いを横目に、マスターは苦笑いをする。
 あの三人がパーティを組んでいるところを見ることができる日は来るのだろうか。


 朝早く、三人の影があった。
「おはよ」
「起きられたんだね」
「そりゃね」
 遊びに行く程度ならば多少の遅刻は許されるかもしれない。しかし、今回は仕事に行くのだ。予定より早くつくことはあっても、遅くつくことは許されない。特に、椿と大空からしてみればこれが最後であることは確定している。最後くらいは真面目に、さっぱりと終わることができるようにと思うのは当然のことだろう。
 対する小町といえば、どうにか二人を説得できないものかと考えていた。二人には二人のやり方や道があるというのはわかっているのだが、早々諦めがつくものでもない。
「こんにちは」
 振り返ると、そこには荷馬車をつれた女性と男性が立っていた。
「えっと、あなたが依頼人さんでしょうか?」
「ええ。そうよ。刹那って呼んでちょうだい」
「はい。刹那さん」
 どうやら、彼女が依頼人らしい。詳しい話を聞きたいと告げると、彼女は少々遠い町の名前を口にした。歩けば丸一日はかかるだろうが、馬車で行くとなれば話は別だ。
「わかりました。任せてください」
「お前は商品に触んなよ」
「うるさい。壊しやしないわよ」
 笑顔で依頼を受けた小町の後ろで、大空と椿はいささか不穏な会話をしていた。けれど、依頼人の方も彼らがどのような人物かは知っているのか、ただ笑顔を浮かべているだけだった。
「あなた達には悪いのだけれど、帰りは徒歩になると思うの。だから、少しでも早めに出発しようと思うのだけれど」
「わかりました。態々私達のことまで考えてくださって、ありがとうございます」
 帰りは徒歩。つまりは、一晩は三人で過ごすことになるのだ。椿と大空は嫌そうな顔を隠しもせず、小町は嬉しそうな顔をしていた。大方、一晩の間に二人を説得してみせるつもりなのだろう。
 三人は依頼人に促され、荷馬車に乗り込む。中にある商品には布がかけられており、何を売っているのかはよくわからなかった。
「何を売っているんですか?」
「色々よ。食料品は扱ってないけどね」
 大空は少しだけ布をめくってみる。そこには美しいアクセサリーが並べられていた。普段ならば二、三個拝借するところなのだが、最後なんだしと思いなおす。
 町の外は魔物が多く、道の整備をすることが困難だ。そのため、馬車での旅というのは意外と心地が悪い。出発してからしばらくすると、大空は口元を押さえ、椿は静かにうつむいていた。
「……変よ」
 うつむきながら椿が呟く。
「乗り物酔いなんて、珍しくもねぇだろ」
 顔を真っ青にしつつも、大空が答えた。けれど、椿は違うと言い返す。
「いくら道の舗装がされていないからって、こんなに揺れるのはわざとしか――」
 その言葉を最後まで発する前に、馬車が揺れた。今までの揺れとは違い、馬車が倒れる揺れだった。
 真っ先に動いたのは、顔を青くしていた大空だ。素早く馬車の外へ飛び出す。他の二人を置いていったのはわざとではない。体調が悪いときに他人のことまで心配できないのだ。
「大空! 椿が……」
 小町は大空の動きを見て行動したのか、いつの間にか馬車の外に出ていた。けれど、そこに椿の姿はない。
 元々機動性があるタイプではないので、未だに馬車の中にいるのだろう。
「それより、刹那さんはどこだ?」
「え……?」
 辺りを見渡すが、刹那さんどころか、一緒にいたはずの男もいない。
 風景にも見覚えがなかったが、小高い山の中のようだ。すぐ隣に崖があり、落ちればひとたまりもないだろう。
「まさか、崖に……?」
 依頼の失敗だとかいう問題ではない。人の生死が関わってくるのだ。小町は血の気が引くのを感じた。
「……いや、どうやらその心配はなさそうだ」
 大空の視線の先をたどれば、刹那が立っていた。しかし、その手にあるのは、商人には似つかわしくない剣だった。さらに言うならば、彼女の周りには、見るからに悪人だと思える者達が並んでいた。
「こりゃ、騙されたかな」
 三人が、というよりもマスターが、だ。
 いつものように大空が短剣を構える。つもりだった。
 カシャンという音が響き、地面には短剣が落ちていた。
「ヤベ」
 見れば大空の顔はまだ青い。ろくに戦うこともできないだろう。椿の姿はまだ見えない。となれば、この危機を脱するために動くことができるのは小町だけだ。
「あらら。これはラッキーだったわ。無風と壊し屋の動きが封じれるなんて」
 二人の首でも持って帰れば、少しは名が上がると剣を持った者達は嫌な笑みを浮かべた。椿と大空は良くも悪くも名が売れているのだと、よくわかった。どうせならば、こんな場面でわかりたくなかったと小町は切実に思う。
「小町、んな青い顔すんなって」
 顔が青いのはそっちだ、とは言えなかった。
「オレは盗賊だ。欲しいものがいくつあたって全部手に入れる」
 そう言った眼は始めて見るものだった。苛烈な光を帯びた眼は、何かに怒りを燃やしている。
「二兎を追うもの一兎も得ずって言うわよ?」
 刹那が口角を上げる。
「そんな言葉知らねぇな」
 大空は両手に短剣を持ち、刹那へ向けて投げつける。空を切ったそれは彼女の周りにいた者達によって阻まれたが、大空に戦う意思があることを知るには十分すぎた。
「ちなみに、今オレが欲しいのは安全と馬車の中の商品と、お前達を突き出して得られる賞金だ」
「あら、二兎どころじゃないのね」
 刹那を先頭とし、二人を囲むように剣を持った者達が襲いかかってくる。小町も剣を抜き、彼らと火花を散らす。
 人数も多く、腕も悪いわけではない。素早く動き、時に刺しを小町が繰り返しても、数が減っている気はまったくしない。それは大空も同じようで、距離をとりつつ短剣を投げつけているが、徐々に追い詰められている。動きがいささか鈍いのは、未だに馬車酔いをその身に残している証拠だろう。
「あなた達三人で、ちょうど百人目なの」
「……人殺し、め」
 大空がうめく。彼は盗賊だ。人を殺めたことなどない。それ以前に、盗みはある程度合法とされてはいるが、殺しはこの国でも重罪だ。
「どうも」
 綺麗な笑みを浮かべた刹那に唾を吐きかけてやりたくなった。だが、それを実行に移すべきかどうかを、大空の頭が考える前に馬車が燃えた。 
 赤々と燃える炎に怯えた馬は、手綱が燃えると同時に逃げ出した。
「殺したの?」
 炎の中から出てきたのは椿だ。
「答えなさい」
 誰かが答える前に、椿は呪文を唱える。禍々しいそれは闇魔法だろう。詠唱が終わると、地面から黒い影のような腕が飛び出す。それらは剣を奪い、人間を地面に押し付ける。
「つば、き……?」
 小町の目が不安げに揺れる。
 椿はただ黙って、刹那に近づき同じ問いかけをする。
「殺したの? 人を」
 召喚された腕に力が入った。抑えられた者達がうめき声を上げる。いつもの魔法とは様子が違って見えた。
「おい、落ちつけ! お前、まともな目してないぞ」
「うるさい! あたしはコイツに聞いてるの!」
 大空が椿の肩に触れる。その一瞬、彼女の意識が魔法から離れた。その時、刹那を抑えつけていた手が緩んだ。この隙を逃す者がいるはずがない。
 全身の力を使って腕から抜け出すと、刹那は迷わずに椿を突き飛ばした。
 不意をつかれた椿は杖を手放して、前にいた大空にぶつかる。予期していなかったこともあり、彼は椿を受け止めきることができなかった。ただ、予想できていたとしても、椿よりも軽い大空が彼女を受け止めることができたかは、わからない。
 二人は、ふらりと後ろに倒れる。
「大空! 椿! その先……崖!」
 その声に大空と椿は目を見開き、刹那は目を細めて笑う。これで勝ったのだと確信していた。まだ体調が回復していない大空はいつもの様には動けない。
 小町は二人の体が後ろへ傾いていくのを目に映していた。
 もはや間に合わないだろう。間に合ったところで、二人を助ければ小町の身が危ないことは明白だ。何せ、椿は動揺のあまり魔法を解いてしまっている。敵に背を向けることなどできるはずがない。
 たった数日だ。共に過ごしていた時間は短い。特に仲が良かったのかと、問われれば悲しいけれども首を横に振るだろう。そう思ったら、本当に悲しくなってきた。小町は泣きそうな顔をして、走りだした。
「嫌! だって、私まだ一緒にいたい!」
 必死に手を伸ばす。後ろから敵が迫ってきているのが気配でわかった。それでも小町は振り返らない。
「まだ二人がちゃんと笑ってるところ見てないもん!」
 小町の手が、大空のそれを掴んだ。
 力一杯引っ張ると、大空と椿が崖の上へと近づく。その代わりに、小町の体は空へと向かった。
「大空!」
「わかってる!」
 大空が一足先に地面に足をつけ、渾身の力で椿を引き上げる。彼女はほとんど大空と一緒にいたので、何とか引き上げることができた。
 椿は地面に足がつくと同時に、小町の腕を取った。その間に大空は短剣を投げる。
「この……馬鹿!」
 筋肉など見当たらない体のどこにそのような力があるのか、椿は小町を引き上げる。この力が壊し屋と呼ばれる原因の一つなのだろう。
 小町の体が引き上げられたとき、辺りには人が倒れていた。先ほどまで目にしていた数よりも幾分か少ないのは逃げ出した結果だ。一瞬、死んでいるのかと怯えた小町だったが、その胸がかすかに動いているのを見て安心する。
「殺さなかったのね」
 血は出ているものの、それらは腕や足といった致命傷以外のところからの出血だ。気絶しているのは頭にできているコブのせいだろう。見れば、大空は手にいくつかの石を持っているので、短剣と同時に投げたのだろう。何とも器用な真似をする男だ。
「……お前、えらく怒ってたみたいだからな」
 刹那が人を殺していたと言ったとき、あの時の椿は普通ではなかった。人殺しに憎悪を抱きながら、同じことをしそうだと思わせるほどだ。
「ま、あたしにも色々あるのよ。色々」
 目を合わせずに答える。
 誰もそれ以上言葉を発することができず、三人は各自手分けして気絶している者達を縛り上げた。適当な木に括りつけ、後でギルドにでも報告すれば回収してもらえるだろう。それまでに魔物に食われてしまったとしても、それは自然の摂理だ。
 ギルドに報告するためにも、一度街へ戻る必要がある。見回してみても、見覚えのない場所だったので、大空が大きめの木を見繕って上へ登る。その姿に、椿が猿みたいだと呟くと、上から固い木の実が落とされた。
「何すんのよ!」
「人を猿呼ばわりとはいい度胸だな、と思いまして」
「もう! 喧嘩は止めてってば!」
 そんなやり取りをしている間に、ここが街からそう遠くない山だということがわかった。距離的に、徒歩で帰ったとしても夕暮れまでには街につける距離だということだ。馬車の中でそこそこ長い時間いたはずなので、でたらめな道を通ってここまで来たのだろう。
「なら早く帰ろう」
 小町が二人の手を引く。いつもの光景だ。
「……ねぇ」
 唐突に小町が足を止めた。つられるように二人も足を止める。
 振り返った彼女は、珍しく目を合わせようとしない。
「帰ったら、お別れ?」
 不安気な声に、椿と大空は顔を見合わせた。そして、少しだけ笑う。
「そうだな」
 左肩を椿が、右肩を大空が叩く。
「借りもできたし」
「もう少し、一緒にいてもいいわ」
 その言葉を聞いた小町は、花が開くように笑みを浮かべた。


 mission 5