月に一度のマーケット。中央区はいつにも増して活気あふれている。様々な方向から客寄せの声が聞こえ、値切る声や所持金が底を尽きてしまった人の嘆きが聞こえてくる。そんな中、小町は財布を握りしめて立っていた。
 この街で生まれ育ってきた小町は、この活気を何度も体験したことがある。値切りに参加したり、所持金の少なさに嘆いたこともある。だが、今日の彼女は一味違う。
 彼女が本日狙うのは、剣だ。それ以外の物など目にも入らない。先日の戦いで見るも無残な姿になってしまった剣に代わって、新たなものを購入しなければならない。そうでなければ、小町など一般人よりも多少俊敏さが勝る女にすぎないのだから。
「えっと、鍛冶屋さんがいる場所は……」
 マーケットは様々な区分によって売り物がわけられている。防具区画、武器区画、魔導区画のような専門的な場所もあれば、一般家庭の者が必要のなくなった物を売りに出す区画も存在する。
 無料配布されている見取り図を片手に、小町はふらふらと歩く。
 武器が販売されている区画には、やはり屈強な者達で溢れ返っている。冒険者やギルドの者の中には、アーチャーのような線の細い女もいるが、剣を使う者達の中では小町は華奢な方と言っていい。
「人、たくさんいるなぁ」
 自分が彼らよりも劣っているとは欠片も思わないが、体格についての劣等感は多少持っている。
 思わずたじろいでしまった小町の目に入ったのは、隣の区画だ。一般家庭区画は、武器区画のすぐ隣だというのに、和やかで暖かな雰囲気をかもし出している。できることならば、そちらに足を向けてしまいたいとさえ思ってしまう。
「――あれ?」
 気合を入れなおし、武器区画へ足を踏み入れようとする寸前、一般家庭区画に見知った人影を見つけた。
「椿?」
 茶色の髪を上の方でまとめた髪型に、黒の服。顔をはっきりと見たわけではなかったが、椿であることは間違いないだろう。
 首を傾げ、小町は一般家庭の区画へと足を運ぶ。
 昨日の時点で、椿はマーケットに来るなど一言も言っていなかった。未だに心を許してもらえているわけではないので、それは仕方ないことなのかもしれない。だが、椿が足を運ぶ場所に、一般家庭区画というのは非常に不似合いだ。
 彼女が似合う区画といえば、魔導区画か大工区画だろう。
 好奇心が叫ぶままに小町は椿の後をつける。それなりに人が多いので、引き離されないように、かつ近づき過ぎないようにするのは難しかったが、椿は小町に気づくことなく辺りを見回しながら進んでいく。
 唐突に椿の足が止まった。彼女の目線の方へ目を向けると、極普通の女性が商品を広げていた。
 椿は彼女の方へと足を進め、商品を眺める。小町もそれにならい、少し近づき商品をじっくりと見る。
 並べられているのは、小さな机や女の子用の服。そして、古臭い本が大量にあった。本の多さを除けば、どこにでもありそうなラインナップだ。魔術師が欲しそうな禍々しい物もなければ、女の子が喜びそうな可愛らしい小物があるわけでもない。
「いらっしゃい」
「これ、ちょっと見てもいい?」
「どうぞ」
 許可を得た椿は並べられていた本を一つ手に取る。
 タイトルまでは確認できなかったが、装丁や紙の色からしてもずいぶんと古い物のようだ。
「……ここにある本、全部買うわ」
「はい、全部……全部ですか?」
 女性が聞きなおしたのも無理はないだろう。
 並べられた本は多い。数十冊はあると思われる。そのどれもが古い装丁と紙色をしている。正直なところ、それらすべてが売れるなど、売り手である女性自身思ってもみなかったことが表情からわかる。
「ええ。全部。お金は渡しておくから、北区の酒場に送っておいて」
 懐から財布を出し、本の代金と送料を尋ねる。
「ちょ、ちょっと待っていてくださいね」
 女性は計算機を取り出し、本の値段と送料を合わせた代金を計算する。その隙に、小町は椿の肩を叩いた。
「何? ……小町?」
 不機嫌そうな目を向けた後、椿は驚いたのか目を丸くした。
「それ全部買うの?」
「そうよ。あんた、剣を買うんじゃなかったの?」
 質問を投げられ、小町は少し目をそらす。
 見かけたので思わず尾行してしまいました。とは、少々言いにくい。
「買うよ。
 あの、さ。前々から思ってたんだけど」
 計算が終わったのか、女性が総額を示す。椿はその値段を見ると、眉一つ動かさずにその金額を財布から取り出し、彼女に渡す。一冊一冊の値段自体はそれほど高くはないが、数と送料がかかり、普通の感覚からすれば十分すぎるほどの金額だ。
「椿ってよくそれだけのお金を出せるよね」
 買い物も終わったとばかりに歩きだす椿の後を追いながら、以前から思っていたことを言葉にする。
「壊したものは弁償するし、さっきも本をたくさん買ってたし」
 小町と椿は同じ仕事をし、同じだけの金を手に入れているはずだ。だというのに、椿は、小町からしてみれば考えられない金額をあっさり出すことが多い。
 私生活の違いかとも思うが、小町とて無駄遣いをしているわけではない。むしろ、極力出費は抑えているつもりだ。
「あたしは、闇魔法が使えるから」
 突き放すような声だった。
「どういうこと?」
 椿の言葉は、疑問の答えになっているようには感じられない。同時に、彼女が突き放すような声を出したことも、小町は不可解だった。
「闇魔法は少し特殊なの。だから、使える人間が少ない。
 その分、仕事は多いし手に入るお金も多い。それだけよ」
 小町は魔法について詳しく知らない。属性があること、人には向き不向きがあること、その程度のことしか知らない。闇魔法が特殊だとは思わなかったが、言われてみれば、椿以外の人間が闇魔法を使っているところを見たことがない。
 特殊なものなのならば、相応の金が手に入ったとしても、不思議はない。それでも、突き放すような椿の声の謎は解明されなかった。ただ、それ以上を聞くことは何故かできなかった。
「そっか」
「あたしはもう帰るから、あんたは剣を見て次に備えなさいよ」
 冷たくそう言って立ち去ろうとする。
「せっかくだし、一緒に――」
 回らないかと誘う声は、誰かとぶつかって消えた。
「す、すみません」
 謝罪の言葉と共に、相手の顔を見ようと顔を上げた。
「…………」
 そこにあったのは、やはり見覚えのある顔だ。
 金色の髪と、名前に違わぬ青色の瞳。
「大ぞ――」
 名を呼ぶ寸前、彼が小町の口を素早く抑え、近くにいた椿の腕を掴んだ。二人が驚きに目を見開いたときには既に、大空は二人を連れて人混みの中を駆けだしていた。
 大空の俊足に付き合わされた椿は、噴水の前で息を切らせていた。瞳が怒りを宿しているが、声を上げることができずにいる。かろうじて言葉を紡ぐことができる小町は、大空に突然の行動について問いただす。
「もう、急に、どうしたの」
「どうしたのも何もねぇよ。
 あんなところでオレの名前を出されたら、商売上がったりなんだよ」
「商売?」
 小町が首を傾げると、大空はどこからともなく、一つの財布を取り出す。
 ピンク色の可愛らしいそれは、とてもではないが大空の私物とは思えない。
「……掏ったの?」
 ようやく声が出るようになったのか、苦しげに椿が尋ねた。
「そうだ」
 掏った。スった。小町はその言葉の意味を頭の中でよく考える。
「えっ! じゃあそれって……」
「お前らがいなさそうな区画を狙ったのに、何であんなところにいるんだよ」
 眉を寄せて吐き捨てるように言う。
「待って、待って。大空、それって、盗ったってことだよね?」
「それが?」
 悪いことだろうと続けようとして、小町は言葉を止めた。
 大空は盗賊だ。主な仕事は盗みや盗聴のような犯罪行為。故に、冒険者が多いこの国では、現行犯でない限り盗賊を捕まえることはできない。スる方が悪いのではない。スられる方が悪いのだ。事実、椿も小町も財布には紐をつけ、スられにくくしてある。
「オレは何も悪いことしてねぇよ」
「……うん」
 心は人の財布を盗むことに対し、不満を覚えている。だが、それは大空を否定することにも繋がっていく。
「小町はともかく、あたしはあんたの名前を呼ぶつもりなんて、欠片もなかったんだけど?」
「そんなの知るかよ。近くに名前を呼ぶ可能性がある奴がいたから、一緒に引っ張っただけだ」
「あんたの足なら呼ばれてもすぐに逃げられたでしょうが」
「オレがいるってばれたら他の区画でもスりにくくなるだろうが」
「喧嘩しないで!」
 いつも通りの口喧嘩を始めた二人の間に、これまたいつも通り小町が割り込む。
 椿は顔をしかめて、二人から距離を取った。
「元魔導師って噂の爺さんが死んだから、魔導書が出てるんじゃないかってマーケットに来ただけで、こんな目に合わされるなんて思わなかったわ!」
「そりゃ後愁傷様」
「二人とも!」
 小町の声もどこ吹く風とばかりに、大空と椿は睨みあう。
 火花が散るのではないかという睨みあいに終止符を打ったのは椿だった。目をそらし、小町達に背を向けて歩きだす。
「椿?」
「帰る」
 簡潔な一言。引き止めることを許さない声に、小町は立ち尽くす。
「オレも稼ぎに行くかな」
「え。一緒に回ろうよ」
 引きとめようと手を伸ばすが、小町の手は大空を掴むことなく空振る。
「お前は剣を探しにきたんだろ?
 オレとは違う目的でここにきてるんだから、一緒に行動する理由はない」
 冷たい言葉に、小町は再び立ち尽くす。
 残されたのは彼女一人。
「……私達、良いパーティだよね?」
 小さく呟いた言葉は、誰にも返されることなく消えていった。


 mission 9