新調した剣を腰に挿した小町は、その一点だけを見れば浮かれた気分になっていてもおかしくはない。昨日購入したばかりの剣は、一見地味な装飾ではあるが、一度鞘から抜けば美しく研ぎ澄まされた刀身が目に映る。最低限の装飾の剣は重さがなく、女の小町でも楽に振ることができる。力でごり押しするタイプではない小町によく合っている剣なのだ。
 運命のようにすら感じる剣と出会えたというのに、小町の表情が暗いのには、もちろん理由がある。
「じゃ、じゃあ、今日も頑張ろう!」
 元気を振り絞って声を上げるが、返答はない。
 左にしかめっ面をした椿。右に無表情の大空。
 空気は重い。
 元々上手くいっていると言い切ることのできないパーティではあったが、このような空気になってしまう日がくるなど思っていなかった。今までも大空と椿の喧嘩はあった。しかし、それらは怒鳴りあうような、まるでそれそのものがコミュニケーションの一種のようにさえ見えるようなものだった。
 それが今ではどうだ。何のコミュニケーションにもならない無視だ。
 重い空気から逃れたくて、ギルドの中に入ってみるが、大空と椿の空気は変わらない。
 小町は小さくため息をついた。
「なんでだろ……」
 半ば無理やりに作られたパーティではあるが、良いパーティであると小町は確信している。現に、今までの依頼は上手くこなせていた。時間が経てば、まるで物語の中に出てくるような仲の良いパーティになれるとさえ思っていたのだ。
 小町の胸をよぎるのは、ほんのわずかな後悔だ。
 もっと良い仲間がいたのではないだろうか。そう、例えばもっと温和な魔術師や、優しい盗賊が。
 浮かんだ考えに足を止める。
「……どうしたの?」
 椿が声をかけた。見れば、大空も訝しげに小町を見ている。
 小町は自分が考えたことが恐ろしかった。
 二人がどれほど喧嘩をしたとしても、自分が二人をつなぎとめておくのだと、思っていたはずだった。それは、簡単に崩れてしまうものなのだと知った。もしも、小町がパーティを解消しようと言えば、二人は何の反論も口にせず頷くだろう。それどころか、喜びの笑みを浮かべるかもしれない。
 思わず、小町は二人の手を握る。
「なんだよ」
 違うパーティを想像したのは自分だったのに、小町はそれがとても恐ろしく思えた。
「……なんでも、ない、よ」
 声は震えていた。気づかないで欲しいという願いがどこかの誰かに届いたのか、椿と大空は何も言わなかった。ただ、じっと小町を見つめていた。
 小町は手に少し力を込める。
「……今日は、依頼を受けない方がいいんじゃないの」
 椿が言った。
「え?」
 顔を上げ、目を見開く。
 深い翡翠色の目には、絶望が宿っていた。
「今のまま仕事したって、ろくな成果出ないでしょ」
 椿は大空を横目に見る。彼も静かに一つ頷いた。
「一度、距離をとってみようぜ」
 誰もがパーティに入った大きな亀裂に気がついていた。そもそも、出来上がりから歪な形をしていたパーティが、よくここまで保たれていた。と、言ってもいいくらいだ。このまま無理に突き進めば、亀裂は三人を死という地下へ誘うだろう。
 ここで諦めた方がいい。誰かが頭の中で囁いた。
 新しい仲間を探せばいい。優しくて温かな仲間がこの世界のどこかにいるはずだと小町の脳へ告げる。椿の瞳も、大空の瞳も、それを肯定してくれているような気すらするのだ。
「……嫌」
 小町の口から零れた言葉に、二人が少し驚いたような顔をする。
「私、二人といたい」
 この世界と言わずとも、この街で仲間を探せば、優しい魔術師や盗賊は見つかるだろう。けれど、すぐに手が出てしまう接近戦好きの魔術師も、なんだかんだと言いつつも、手助けをしてくれる素直じゃない盗賊も、見つかりはしないだろう。
 何故、二人とパーティを組もうと思ったのか。小町はそれに明確な答えを出すことはできない。
 仲間を探していたときに、マスターが提案してくれたから。数度の仕事で彼らを好きだと思えたから。始めて、三人で顔を突き合わせたときに、この三人で笑いたいと思ったから。
 そのどれでもなく、どれでもある。
 理由は多すぎて絞ることができない。だが、結論はたった一つのはずだ。
「あのね、小町――」
「じゃあさ、私の家にこない?」
 椿が何かを言う前に、小町が言葉を重ねる。
 真っ直ぐな意思を宿した瞳に椿がたじろいだが、小町に手を取られているので、距離を取ることができない。大空もそれは同じで、二人は気まずげに視線を交合わせる。
「一人暮らしだから。西区にあるの。ね? 一度来てみない?」
 二人は考えた。この状況を回避するための案を。
「……いいわよ」
「……わかった」
 案は出なかった。
 渋々紡がれた了承の言葉に、小町は二人の手を引いてギルドの外へと向かって歩き出す。
「私、二人と一緒にいたい」
 まだ震えている声でそう言った。
「始めは何となくだった。その次は二人の笑顔が見たいと思った。
 今も二人が心の底から笑ってる顔が見たいと思ってる。でも、それと同じくらい、二人と一緒にいたいって。何の理由もないけど、一緒にいたいって思ってる」
 人ごみを抜けながら紡がれていく言葉に、二人は答えようとしない。
 呆れているのか、照れているのか。何も感じていないのか。小町には判断のできないことだったが、自分の思いを伝えるということが目的だったので、返事については期待すらしていなかった。
 ギルドを出て、街の道を歩きだす。それでも小町の手は二人を掴んだままだった。数度、離して欲しいと二人が告げたが、小町はそれに答えず、掴む力をさらに強くするということで返答した。
「ここの角を曲がって、花屋の前を通って――」
 小町はギルドから自分の家へ続く道を口にする。
 冒険家は少なく、一般人が住む西区は、穏やかな昼下がりの時間が流れていた。そんな西区の一角で、小町は足を止めた。
「ここが、私の家」
 周りの家と同じ作りをした家だ。一階建てではあるがそれなりの広さがあるであろう、赤い屋根の一軒家。
「いつでも来ていいから」
 小町は二人を見た。
 彼女は他の二人の家を知らない。彼らとしては教えるつもりもないのだろうけれど、いつかは互いの家を行き来できるようになりたいと小町は思っている。そのためにも、まずは自分から動かなければならない。二人の見本となるように、二人に己の意思を知ってもらえるように。
「さあ、上がって」
 鍵を回し、家の扉を開ける。
 外で見たときの印象は正しかったようで、小町の家は一人暮らしとしては十分すぎるほどの広さを持っていた。
 リビングに通された二人は、居心地悪げにテーブルの前へ座る。女の子らしい可愛いぬいぐるみや、ハート型のクッションが目につくのか、大空は特に居心地が悪そうだ。
「二人とも紅茶でいい?」
「……ええ」
「……おう」
 答えにも覇気がない。
 小町はお気に入りの紅茶を淹れ、二人へと差し出す。どこか恐る恐るといった様子でカップに口がつけられる。
「美味しい?」
 尋ねてみると、控えめに頷かれる。
 二人とも、友人の家に行くことなど滅多にないのだろう。他人のテリトリーに己がいるという事態に、気持ちがついていっていないのが見てとれた。
「そういえば、大空はそのスカーフ取らないの?」
 小町はオレンジ色のスカーフを指さして尋ねてみた。季節的にもそうなのだが、特に室内ともなればスカーフを巻いていると暑い。小町は家に帰るとほぼ同時に、赤色の鎧を脱いだくらいだ。
 緊張してはずすのを忘れているのだろうか。そのくらいの気持ちで尋ねたのだ。
「オレは寒いのが嫌いなんだ」
 返された言葉は、その意味とは裏腹に冷たさを多分に含んだものだった。
「今は暖かいでしょ。外したら? 見てて暑苦しいし」
 反射のように返されたのは椿の言葉だ。
「お前にとっては暖かいかもしれねぇけど、オレからしてみればそうじゃねぇんだよ」
 名前の通りの空色をした目が細められた。
 これは不味いと小町が思ったときにはもう遅い。
「オレからしてみれば、お前の格好は寒々しすぎるんだよ。
 首元、肩、袖もでかいから風をよく通して寒いだろうな」
「あたしは暑いのが嫌いなの。嫌なことを思い出すのよ」
「そりゃ嫌な偶然だ。オレも同じだよ。寒いと嫌なことを思い出すんだ」
 睨みあう二人。空気は一触即発だ。
 喧嘩を発展させるために、小町は自分の家へ二人を招いたわけではない。
「二人とも――」
「あんたにあたしの何がわかるのよ!」
「その言葉、そのまま返してやるさ」
 静まり返る部屋の中。時計の針の音と、外から聞こえてくる子供達の声だけが世界が動いていることを伝えている。
「二人は」
 小さな声が椿と大空の耳に届く。
「このパーティが嫌い?」
 泣いているのかと思ったが、小町の目は潤んでさえいない。ただ悲しげで、寂しそうだった。
 椿と大空は視線をそらし、少しばかり考えてみる。小町に尋ねられた質問に答えを探したのだ。
「わからない」
 その言葉を出したのは二人同時だった。
 どちらも質問の答えを見つけることができずにいたのだ。
 一人の方が気楽ではあった。だが、椿でも大空でも小町でもない人間と共にいることを考えるならば、彼らと共にいた方がずっと楽な気さえするのだ。だからこそ、答えがでない。
「仲良くっていうのは難しいかもしれないけど、私は三人でいたいよ」
 彼らは個性がありすぎる。そのために、反発するところも多く、一度ぶつかりあえば大きな争いになる。避けることは難しいことだ。受け入れるにはまだ時間が足りなすぎる。どうすればいいのかなど、誰にもわからない。
 それでも、小町は言葉を紡ぐ。
「もう少しでもいい。一緒にいて」
 思えば、出会った時から何も変わっていない。
 椿と大空は喧嘩ばかり。小町はその二人を強引に引き止め、解散の時間をわずかに延ばす。何も変わっていないその様子は、まだ彼ら共有の時間が少ないことを意味していた。
「もう少し、ね」
「お前が納得する日が来るまでの間違いじゃねぇの?」
 二人は少しだけ口角を上げる。
「それまで、付き合ってくれる?」
 納得する日など、よほどのことがなければ訪れない。
「いいわよ。今はね」
 三人の誰もが、そのことをわかっていながらも小さな約束を交わす。
 納得できる日まで、という約束。今はそれでいいという約束。どちらに転ぶのかはまだわからない。けれど、小町は、引き延ばすことで得られる何かが見えるのをじっと待つのだ。


 mission 10